家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

自分に似ている子を丸ごと愛すのは難しい。でも、だからこそ。

次男が、絶賛赤ちゃん返り中なんです。

妹が生まれ一番喜んで、張り切ってお世話して、母を独占することをすんなり諦めて、うまく行きすぎだとは思ってました。

やっぱり無理をしてたみたい。

 

夫がいる日は他の兄弟を見てもらって、2人きりの時間を作ってもらったりして対応中です。

赤ちゃんになることに飽きるまで、存分に甘えさせてあげたいと思っています。

 

だけど!だけどね…

次男を丸ごと愛するのが難しい。

とても、難しい。

だって、自分にそっくりで。

次男のあれこれを丸ごと許して愛してあげるってことは、同時に自分自身のことも丸ごと許して愛してあげることになってしまう。

 

ぽかんと口を開けてぼーっとするのが大好きで、こども園では1人で遊ぶのが好きで、家では甘えん坊で、そこかしこにやり途中のものが置きっぱなしで、するべきことは先送り。

そんなとこが、私とあまりにも重なりすぎている。

 

そのまま大人になった私が、部活もバイトももちろん社会人になっても、失敗ばかりで苦労したのは言わずもがな。

 

だから、つい、次男のことが心配になってしまう。

自分と同じ道をたどるんじゃないかって怖くなる。

だから、必要以上にきつく言ってしまうことがある。

 

私は、自分のことを許せてないから、自分を受け入れがたいから、次男を通じて自分を批難しているんだと思う。

 

夫からは叱られます。

自分と一緒にするな。あいつはよく頑張ってる。

毎日勉強も、片付けも、お手伝いも、ちゃんとやってる。

大人になってうまく行かないんじゃないかなんて、今心配する必要は全くないし、決めつけちゃいけない。

一人で遊べるのだって能力だし、そういう時間は重要。

人の名前をよく覚えるし、人の話をよく聞いていて内容を理解してる。

あいつは大丈夫だ。

 

そうだよね。そのとおりだと思う。

 

ちなみに、長男は、夫と気質がそっくりなのである。私とは正反対。

鋼のメンタルと底抜けの明るさ、おしゃべりで、考えながら動き、動きながら考える。

公園でも、旅先のホテルでも、気がつけば友達を作って遊びを作り、リードしている。

ADHDの診断を受けてはいるけれど、私は全く心配していない。

いつでもどこでも、どうにかして生きていけそうなバイタリティーを感じさせられる。

 

長男は好きになって結婚した男性と同じタイプなのだから、当然スムーズに好きになれるし、一緒にいてラク

 

次男のことだって大好きだけど、時々、心配でたまらなくなるのである。

これが、私の課題なんだって最近心底感じている。

 

「お母さんも、何をどこに置いたかすぐ忘れちゃうし、好きじゃないことは後回しにしちゃう。だから、一緒に工夫を考えて、一緒に頑張ろうね。」

 

この前話していて、ふと出た言葉が腑に落ちた。

そうそう。一緒に頑張れば良いんだ。

 

お父さんのガジェット、機械の仕組み、料理への興味。

一人で集中して色々作ること。

歌ったりダンスするのが好きなこと。

ぬいぐるみや動物や妹に優しいこと。

そんな次男の素敵なところはそのままに。

本人も困るであろうことは、一緒に改善して行こう。

 

自分が子供の頃、切実に思っていたことがある。

「もういい加減、このくらい自分でやりなさい、どうしてできないの?!」

毎日のように言われていたこの言葉に対して、言いたくても言えなかった言葉がある。

それは、

 

「できるようになるまで、そばにいてほしい。一緒に考えて、一緒にやってほしい。」

 

自分でも、できるようにならないことが辛かった。

どうしてみんなと同じようにできないのか、自分でもわからなかった。

苦しかった、怖かった。

だから、一人にしないでほしかった。

「出来ない」問題を、一人で抱えるのは辛すぎた。

一緒にいてほしかった。

 

そんな私がお母さんになった。

私にそっくりな、私のことを大好きでいてくれる、可愛い息子が目の前にいる。

子どもの頃の、自分の願いを思い出す。

この子と一緒にやっていこう。

一緒に、「こうしたらできる」を見つけていこう。

 

こんな自分でさえ、運良く幸せになれた。

次男もきっと、大丈夫!