最近、「生」について少し考えてみています。
きっかけはXで少し前に見かけた言葉。
少子化が深刻なことを受けて、「このご時世に何も考えず性欲に任せてポンポン子どもを生む人のことを馬鹿にできない」という話で、そういう人のことを褒めてしんぜよう、とのことです。
たくさんの人が賛同していました。
その発言をされた方は二人お子さんがいらっしゃるようなので、おそらく「何も考えずにポンポン産んだ」とされているのは、3人以上産んだ人、つまり私も対象。
ということは私もどうやら褒めてもらえるようです。
ありがたいやら哀しいやら。
ところで、川上未映子さんのエッセイ集「深く、しっかり息をして」の中に、小説「夏物語」に関連した、こんな一節がありました。(P.210)
子どもを生むことは素晴らしいことだと、多くの人は疑いもしない。だから、生んだ女性は生んだ理由を聞かれることはないけれど、生まなかった女性は理由を聞かれることが多い。
これは本当に嫌なことだけど、事実です。
私はこれに、
- 一人目を生んだあとは、二人目をなぜ生まないのかと聞かれる
- 3人目を生むと、また理由を聞かれるようになる
を追加したいと思います。
どうやら彼ら(尋ねる人々)にとっては、「子ども二人生むのが正解」のようなのです。
子どもが二人、というのが「計画的」で「かしこい」「成功者」なのだと…
なんなんでしょうかね。よくわかりません。
生もうが生まないが、何人生もうが、勝手にさせてくれよ、というのが本音です。
3人生むと、こう心配されるんです。
こんな時代に?
お金大丈夫?
良い教育受けさせてあげられなさそう。
全員あんまりかまってあげられなくて子どもがかわいそう。
では、いつの時代なら生んでもいいのか?
どれだけお金かけたら、どれだけかまってあげられたらいいか?
それが一人の場合と二人の場合と三人以上の場合とで、何がどう変わって、その子の人生にどんな風にどれくらい影響するのか?
たぶんその人もわかってるわけではないと思うので、いつも「さぁ、わかりません。頑張ります。」とだけ答えます。
特に、私のような障害を持つ人間には、「子を持つな」という人もいるようです。
でもね。言わせてくださいな。
アレルギーもアトピーも発達障害も持ち合わせて生まれてきて、人付き合いも上手じゃないし、うまくいかないことはたくさんあったけれど、今まで生きてて良かったと思うし、心から幸せだと感じられる瞬間がたくさんあります。
生まれることは、チャンスそのもの。
生まれないことには何も出来ません。
賭けだけど、いろんな形の幸せがたくさんあるんだから、何かしらの種類の幸せは掴める可能性があります。
少なくとも私の子どもたちは私を心底幸せにしてくれているので、もうこの上ないくらいすでに人の役に立ち感謝されているのです。
一日一回以上笑えて、楽しく遊んだり夢中になれています。
この「生」に意味がないなんて、かわいそうだなんて、暗い予言なんて、言わないでほしいんですよ。
昔の名作ですが…子どもと一緒に「ブラック・ジャック」やら「レ・ミゼラブル」やら読み返していると、本当に、生きてるだけで素晴らしいんだってことを思い出します。
人間に上も下もなく、ただただその存在が尊い。
我が家の子供達は田舎で、タワーマンションにも、都心の私立進学校にも縁がなく育っていくのだけれど、それが可哀想だっていう価値観の人達がいることを知ってはいるけれど、そんな視線から逃れた気持ちの良い場所で。
すくすくと逞しく、今日も生きています。