家は味方

ADHD親子の、片付けられる家。

「役に立つこと」を強いる社会の終わり。私たちの「マインドセット」は追いついているか?

 

激しい移行期のいま

最近ふと、『AIとBIはいかに人間を変えるのか』(波頭亮 著)と、ボリス・ヴィアンの小説『うたかたの日々』(野崎歓 訳)の2冊を思い出しました。

いよいよ、ヴィアンが嘆いた「狂った労働社会」が終わり、AIとBIの時代が来ていると感じます。

 

『うたかたの日々』が予言した、現代人の「窒息する部屋」

ヴィアンは、人間を歯車扱いし「役に立つこと」を強いる社会を、猛烈な風刺で描きました。

この物語で見落とせないのは、「心のアラートが物理的な現象として現れる」不条理さです。

心が悲鳴をあげる代わりに肺に睡蓮が咲き、主人公たちの部屋は徐々に狭く、窒息空間に変わっていきます。

なんだかこれ、新自由主義の消費社会に適応しようとして息苦しくなっている、現代人の「片付けられない部屋」の圧迫感そのものに見えてきてしまうのです。

 

AIとBIがもたらす「精神的格差」

AIが労働を代替し、BI(ベーシックインカム)が生存を保障する未来はすぐそこです。

しかし、それがもたらすのは経済的解放以上に、「精神的な格差の顕在化」なのかもしれません。

内側に「IKIGAI」(他人の評価を必要としない、日常の小さな喜びやこだわり)を持つ人は、労働の義務から解放され歓喜するでしょう。

一方、「他者より稼いでいる」「役に立っている」といった外側のモノサシ(記号の消費)をガソリンにしてきた人は、全員が等しくフラットになる社会で激しい迷子になり、ディストピアを感じてしまうはずです。

 

さらにグロテスクになる現代:『ハッピークラシー』という呪い

現代の社会は「もっと生産性を上げろ」に加えて、「どんな環境でも自力で幸福になれ、メンタルを安定させマインドフルでいろ(なれないのは自己管理不足だ)」と、感情やライフスタイルまで自己責任化する『ハッピークラシー(幸せでいなければならないという支配)』の呪いに満ちています。

「幸せで充実した私」をセルフプロデュースしなくてはならないプレッシャーが、私たちの部屋と心を、ますます見えないノイズで狭くしていきます。

「丁寧な暮らし」と「梅仕事」に見るハッピークラシー

片付けの現場でも、時折こんな光景に出会います。

自家製の梅干しや手作りジャムなど、一時期ブームになった「丁寧な暮らし」。

それ自体は素晴らしい豊かな時間ですが、心身の余裕を失ったとき、それはいつの間にか「ちゃんとしなきゃ」という見えない義務に変わってしまいます。

結果として、何年も前に仕込んだ瓶が部屋の奥で眠り続け、それを見るたびに「丁寧な暮らしができていない自分」を責めてしまうことも。

……実は最近では、そんな挫折しそうな人のために老舗の梅屋さんが「梅干し作り代行サービス」を始めるほど、現代人は「丁寧さ」のプレッシャーに追われています。

prtimes.jp

「常に完璧でハッピーであれ」と求める社会の中で、真面目な人ほど自分を責め、ヴィアンの小説のように窒息しそうになってしまうのです。

 

未来のセーフティネットとして「重荷を下ろす片付け」を

社会は確実に「ポスト新自由主義」へ移行しつつありますが、私を含め多くの人のマインドセットはまだ古い呪いに囚われたままです。

ただし外側のモノサシを剥がすには痛みが伴うため、「何物でもない自分」を許せるようになるまで、ゆっくり時間をかけていきたいところ。

素敵なライフスタイルを提案し引っ張っていく片付けも素晴らしいですが、私のような片付け屋がしたいのは、そうした「〜しなきゃ」という外側の重荷を、一緒にひとつずつ下ろしていくお手伝いです。

「認められたい」「ちゃんとしなきゃ」というモノサシで買ったものは、いつの間にか住む人のエネルギーを奪うノイズになります。

それらを手放し、働かなくても丁寧な暮らしができなくても、ただそこにいるだけで満たされるような、「生きがい」を支える空間を再構築すること。

それこそが、新しい時代において私たちが自分を守るための、「精神的セーフティネット」になるのだと思います。

私を誰も「矯正」しなかったから。巨大で恐ろしい「時間盲」を乗り越えられた理由

「今年こそは、ちゃんと生きよう」×20?

そう思って、毎年何冊の素敵で、そして高価な手帳を買い直してきただろう。

結果はいつも同じ。

最初の数ページだけが埋まり、あとは真っ白なままクローゼットへ消えていく。

私にはADHDがあり、昔から「時間盲(時間の感覚が掴めない状態)」を抱えていました。

スケジュール管理、タスク管理、時間管理。

世間の人がこなしているらしいそれらのことが、人生でただの一度も成功したことがなかったのです。

 

【前熟考期】「やる気がない」のではなく「怖くて触れられない」段階

心理学の「変化への備えモデル」では、行動を変えようとしない初期の段階を「前熟考期(今後6か月以内に行動を起こす意思はない段階)」と呼びます 。

 よく教科書には「本人が問題そのものを認識していない段階」と書かれているのですが 、当事者としての実感はなんとなく違う気がして……。

 問題が見えていないのではないのです。むしろ、痛いほど見えている。

手帳を開くたびに、自分の「できない現実」を突きつけられる。

それは私にとって、解決可能な問題などではなく、もう自分の手に負えない巨大で恐ろしい「何か」でした。触れてはいけない、危うい領域だったのです。


 

見ないふりをしないと心が壊れてしまうから、頑なにならざるを得ない

単に「やる気がない」のではなく、「怖くて触れられない」。

周りから「片づけなさい」「時間を守りなさい」と言われると、私はいつも心を閉ざしてしまっていました。

なんて言えば良いのか…文字通りの「フリーズ」。怖い。動けない。

でもそれは、単に「やる気がない」のではない。

見ないふりをしないと心が壊れてしまうから、頑なにならざるを得なかったのです。

怖くて触れられないからこそ、防衛本能で必死にシャッターを閉めていただけでした。

教科書でいう「前熟考期」とは、ただ愚痴を言って現状を拒否しているだけの時期に見えるかもしれません 。

けれど、実はその裏で、本人が一番困っていて、責められる恐怖と戦っているケースもあるのだと、私は身をもって知っています。

【前熟考期へのアプローチ】心を動かすのは「強制」ではなく「安全基地とリソース」

では、この頑なな「前熟考期」にいる人に対して、周囲はどう関わればいいのでしょうか。

モデルでは「変化しない場合のリスクとメリットを伝える」などとありますが 、何より大切なのは「本人の境界線を侵さない安全基地」になることです。

そんな、前熟考期と熟考期を何年も何年も暗く行き来していた私に、最初の「安全基地」をくれたのは夫でした 。

まず、「何も期待してないよ。そのままでいいよ」と言ってくれたのです。

「変わらなくてもいい」という究極の安心感(逃げ道)をもらったことで、私の防衛本能はふっと消えました。

そして夫は、私が一番苦手だった料理を完全に肩代わりしてくれました。

口先だけでなく、私が他のことに取り組めるように「時間というリソース」を実際に作って提供してくれたのです 。

私の片付けに対するこだわり(私の境界線)はそのまま100%尊重し、自由にやらせてくれた。
その結果、私はあんなに片付けが苦手だったにもかかわらず、自発的に「ライフオーガナイザー」の資格を取るまでに変わることができました。

無条件の愛が人を自発的に動かす

【熟考期〜準備期】「私もやれるかもしれない」と灯がともる瞬間

次のステップは、変化への関心が高まる「熟考期(今後6か月以内に意思がある段階)」、そして行動の計画を立てる「準備期(今後1か月以内に行動するつもりがある段階)」です 。

お片づけは進んだけど、心のどこかにずっと引っかかっていた「時間盲」と「時間&タスク管理」の問題。

こればかりは、ずっと見ないふりを続けていました。

けれど、安心できる環境にいたからこそ、時間管理の情報が自然と目に留まる(熟考期)ようにはなっていたのです。

そんなある日、小鳥遊(たかなし)さんのタスク管理オンラインイベントが、パッと目に入りました。

いつもなら怯えてスルーしていたはずなのに、その時はなぜか「参加してみよう」と思えた。

そして、お話を聞きながら、私の心の中で初めて「私もやれるかもしれない」という小さな、でも確かな灯がともりました。(準備期への移行)

怖くて触れられなかった「巨大な何か」の正体が、ほんの少し、味方に変わった瞬間でした。

amzn.asia

【維持期】継続の鍵は「定期的なチェックイン」と「逆戻りの許容」

実際に行動を起こす「実行期」を経て、一番の難所となるのが、変化を定着させる「維持期」です 。

モデルの解説によると、維持期を安定させるためには【定期的なチェックイン】や【社会的サポート】、そして【後退(逆戻り)にも前向きに対処する姿勢】が不可欠とされています 。

その後、イベントでご一緒した嵯峨さんに、嵯峨さんお手製の「Task Walk」というアプリを使わせていただく機会をいただきました。

www.taskwalk.com

1人では不安だったので、週に1回、伴走とコンサルティングをしてもらうことになりました。

最初は、やっぱりうまく書けませんでした。

けれど、「今週も嵯峨さんに会うからには、少しだけでもアプリに触っておこう」という緩やかな社会的サポートが、私を支えてくれました 。

何より救われたのは、私が記入できなくても全く責めず、嵯峨さんが言ってくれたこの言葉です。

「中断しても、またそこから再開すればいいんですよ」

「変化への備えモデル」の維持期には、『後退(逆戻り)にも前向きに対処する』という大切なルールがあります 。

さがさんの言葉は、まさにそれでした。

「完璧にできなくていい。戻ってもいい」と思えたら、嘘みたいに気が楽になり、逆にアプリを開くことが続くようになったのです。

週に1回、「一週間を整える会」という定期的なチェックインの場があること 。

そこで温かいフィードバックをもらえること 。

この仕組みがあるからこそ、私は今、魔法が解けることなく「維持期」にいられています 。

かつてあんなに恐ろしかった時間管理が、今では完全に自発的にアプリを使い、時間を可視化し、スケジュールを組むという、私になくてはならない大切なツールになっています。

 

iewabuki.com

おまけ:母の「動いてみようスイッチ」が入った瞬間

実は、我が家にはもうひとつ、この「前熟考期」にある人の心を動かしたエピソードがあります。

父が亡くなってから、実家をずっと片づけられずにいた私の母の話です。

私たち姉妹(娘)がいくら「片づけよう」と言っても、母は「もうその話はしないで!」と拒絶してしまいました。

まさに心を閉ざし、周囲の支援に「抵抗」している前熟考期の状態です 。  

そんな母のスイッチを入れたのも、私の夫でした。

夫は、母が「これなら手放してもいい」と言っていた、特にこだわりのなかった古いピアノに着目しました。

そして、一番めんどくさくてパワーのいる「業者を調べて、訪問査定の予約を入れる」という大がかりな部分――モデルでいう『関わる能力(実行機能の課題)』の部分を、代わりに一気にやってくれたのです 。  

本人の「自分で決めたいこだわり(境界線)」には一切踏み込まず、単純に「めんどくさくて、人にやってもらえたら助かる部分」だけをそっと肩代わりする。

そうして目の前にパッと具体的な進捗が見えたことで 、母の心のハードル(実行機能の課題)が一気に下がり、そこから急に自発的に片づけてくれるようになりました 。

 どこにこだわりや不安があるかよく聞いて 、本人にとって重要でないところから進めていく。

これもまた、相手を「矯正」しようとしない、前熟考期へのひとつの優しいサポートの形でした。

ただ選択肢とリソースを置いてくれた人たちへ

もしあの時、誰かが私を無理やり「矯正」しようとしていたら、私は今も頑なに心を閉ざし、真っ白な手帳を買い続けていたと思います。

私が自分でもびっくりするほど変われたのは、周りの人が私を「変えようとしなかった」から。

夫が、小鳥遊さんが、嵯峨さんが。

誰も私をコントロールしようとせず、ただ私の境界線を守り、選択肢とリソースだけを、そっと私の前に置いておいてくれたから。

「進んでもいいし、戻ってもいいよ」

そんな優しい安全基地をくれたすべての人に、心からの感謝を込めて。

 

参考文献・引用元

講座名:変化への備え 基礎編(INT-310) 
主催:Institute for Challenging Disorganization®(ICD®) 
講座開発・講師:Wendy Hanes, CPO®, CPO-CD® / Angela Esnouf(Hoarding Home Solutions) 
主な理論ベース:ジェームズ・プロチャスカ、ジョン・ノークロス、カルロ・ディクレメンテ著『Changing For Good』(行動変容の6段階モデル)
デイビッド・F・トリン、ランディ・O・フロスト、ゲイル・ステケティ著『Buried in Treasures』(強迫的獲得・ため込みへの支援)

私がミニマリズムを「ちょこっとはみ出た」理由。35歳のぞうちゃん、あるいは我が家の「濃いラメピンク」の選択

カプセルの恐怖と、社会に溶け込んだ「静かな規範」

かつて香港で、1960〜70年代の建築思想である『カプセル・メタボリズム(新陳代謝)』の展示を見たとき、私は本能的な恐怖を覚えたという話をしました。

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「あんな家じゃ、私、死んじゃう」

四角く区切られたモノトーンの無機質な空間。

目的にないものは一切排除された部屋。

それは美的な思想というよりも、高度経済成長という名の戦場へ向かう企業戦士たちを24時間効率よく管理するための「使い捨ての格納庫」でした。

人間の凸凹や不完全さ(バグ)を、綺麗にサニタイズ(消毒)して閉じ込めるための檻のよう。

私の中に宿るAuDHDのセンサーが、強烈なアラートを鳴らした瞬間でした。

これは極端なミニマリストの形にも見えましたが…

 

現代の「ミニマリスト」という生き方は、本来最高に格好いい哲学を持っています。

1960年代のアメリカのアート(引き算の美学)に起源を持ち、リーマンショックや東日本大震災を経て、「持たざることで、資本主義の過剰な広告ノイズや災害のリスクから脳と命を守る」という、切実で知的な脱獄戦術(サバイバル)でした。

24時間スロットマシンのように回り続けるマーケティングハックから逃れるために、都会のノイズを離れ、みなかみ町の水のそばへ移住した私にとっても、その思想は深く共感でき、尊敬できるものです。

 

しかし、かつては尖ったサバイバル戦術だったミニマリズムは、ブームが去った今、少し歪んだ形で社会のインフラになってしまいました。

無印良品やダイソーのシンプルなケースに美しく収まる「すっきりした暮らし」が、いつの間にか「正しい普通の暮らし」という定番の正解として定着してしまったのです。

流行っていないからこそ、タチが悪い。

空気のように社会に溶け込んだ「ミニマル至上主義という静かな規範」は、図らずも、凸凹した脳を抱えて片付けに悩む人たちに対して、「自己管理ができない、だらしない人間」という自己責任の濡れ衣を、静かに着せ続ける呪いになってしまいました。

凸凹当事者たちがSNSなどで感じる「上から目線」の正体は、特定の誰かへの怒りではなく、この社会のOSに組み込まれた見えないプレッシャーへの叫びなのだと思います。

 

私がミニマリズムを「ちょこっとはみ出た」理由──腹わたの出た、35歳のぞうちゃん

実は私も、かつて生きづらさの生存戦略としてミニマリストを目指した人間です。

物の管理が下手で、究極のめんどくさがり。物が多いとすぐに混乱してしまいます。

毎日着る服のコーディネートを朝から考えるのが脳のコストとして高すぎるため、下は「Aラインスカート(短足&デカ尻を隠すための最強アイテム)」、上はバランスを取るためのピタッとしたトップス、ボトムスは黒、と型をカチッと決めたら本当に楽になりました。

その勢いで、部屋のモノもかなり捨て去りました。

引っ越しが多かったのもあるのですが。

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けれど、すべてを削ぎ落としたモノトーンの空間は、無機質な緊張感があって、どこか寂しかったのです。

ASDの特性として視覚ノイズは減らしたいけれど、サニタイズされすぎた空間では呼吸ができない…。

そう気づいた私は、引き算をやめて、布や木の質感、自然の緑やお花、精度を保つためのモノトーンの中に、予測不可能な生命である「犬」を部屋に招き入れました。

これは娘が「かわいいの見つけたの!」と摘んできてくれたお花。貧乏草なんて言わないで。

極めつけは、実家に置いてきた「ぞうのぬいぐるみ」の存在でした。
アトピーやアレルギー、生きづらさで毎日のように泣いていた子供の頃、私の痛みを全部吸い込んでくれた、文字通り腹わたが飛び出して色褪せた、35歳のボロボロのぞうちゃん。

ミニマリストを目指していた頃の私は、実家を処分する完璧主義の母に「それも捨てておいて」と言ったはずでした。

記憶すら曖昧になるほど、ノイズとして処理しようとしていた。

なのに、実家のすべての荷物を片付け、物件を売り切った母は、そのボロボロのぞうちゃんだけを、いまだに大切に持っていたのです。

「え?なんで持ってるの!」と驚く私に、母は言いました。

「この子は、私とお棺に入るから」

その時。わかった気がしたのです。

母にとってもそのぞうちゃんは、かつてぐちゃぐちゃだった娘をともに愛し、生き抜いた「戦友」だったのだと。

部屋を綺麗にするために私が捨てようとしていたのは、自分の痛みの歴史であり、生き抜いてきた尊厳そのものでした。

私には、捨てる必要のないものがあったのです。

私はミニマリズムの型から、自分仕様に「少しずらして、ちょこっとはみ出してみる」ことにしました。

 

かつてアトピーの肌を抱え、「自分は一生、女の子らしい服を着てはいけない。赤なんてご法度だ」と自分にかけていた呪いを、衣服の簡単ルール(Aラインの型)は残しつつ、ひらひらしたレースや、鮮やかな「赤」を取り入れることで上書きしたのです。

赤は、生きてる実感をくれる色。

私が「私の生」を自分で選んで生きているという、自己決定感の証拠です。

 

クローゼットの裏動線ハックと、我が家の「濃いラメピンク」

そんな我が家では昨年、子供部屋を一つの大部屋から3人分に仕切るリフォームをしました。

その際、私は彼らに「壁紙も家具もランプも、全部自分で選んでいいよ」と伝えました。

「飽きてもいい。大いに失敗して、違和感を覚えたら、それはまた暮らしの知見になるから」と思って。

かつて私が、親の用意してくれた「上質でシンプルな、飽きのこないダークブラウンと白の部屋(私の特性には完璧に合っていた正解)」に対して、「もっと可愛いのが良かったなぁ、自分で選びたかったなぁ」と、少し寂しく選択権を求めていた原体験があったからです。

 

その結果、我が家の子供部屋は、インテリアのセオリーが見事に爆発したカオスな聖域になりました。

長男: 「ジャングルにしたい」とモスグリーンの壁紙に森柄のランプ、スター・ウォーズのレゴ、六角形の鏡を使った壁面アート。

次男: 濃いブルーの壁紙と家具に、宇宙船を意識して貼った鏡アート。

まだ青いデスクが入る前の写真ですが

長女(3歳): 濃いドピンク(しかもラメ入り)の壁紙に、オリエンタルな花柄の寝具、雲の形の鏡。

これらの個性が個室で100%成立しているのは、家具と飾り以外のものを他の部屋に収納できているからです。

玄関横にロッカールームがあり、洋服はすべて洗濯室のファミリークローゼットで一括管理しています。

おもちゃも基本は1階。

つまり、「生活のための管理」は、すべて裏方で100%処理してあるのです。

だからこそ、個室という表舞台は、生活感に縛られない純粋な「脳内固有世界の実験場」として機能しています。

将来、娘が大きくなったとき、あのまばゆいラメピンクの部屋を思い出して「あの時、お母さんはなぜ止めなかったんだ……」って笑ってくれたら、これほど面白いことはありません。

 

1つの正解から、無数の「〇〇リスト」大博覧会へ

ミニマリズムという偉大な先人のサバイバル戦術をリスペクトしつつも、人間の凸凹はグラデーションです。

引き算で脳を守る「ミニマリスト」が正解の人もいれば、大量のモノで脳をなだめる「ドーパミニスト」が生きるための正解である人もいる。

自分の世界に全振りして街中で踊り出す「ハイパーフォーカリスト」も、人間の歪みや情念をそのまま差し出す「エキセントリキスト」も、みんな等しく、過酷な世界を生き抜くサバイバーです。

 

社会が用意した「たった一つの正解」というデフォルト設定に、自分を無理やりハメ込む必要なんてありません。

定番の型から、ほんの少しずらして、ちょこっとはみ出してみる。

みんながそれぞれの凸凹に合わせて、自分だけの「〇〇リスト」を勝手に名乗って、お互いに「ウケる、お前のそのバグ最高だな」って面白がりながら、存在をそのまま認め合える世界。

 

誰もが自分の真っ白を、自分のジャングルを、あるいは自分の濃いラメピンクを、自分の意思で選び取れる逃げ道(動線)を、私はこれからもこっそり、生活空間にデザインしていきたいと思っています。

狭いなりに、秘密基地のような空間ができました。今度詳しくレポしたい…!



 

香港で「自由」を解剖してきた話。

「全員一緒の家族旅行」をやめて、香港で「本当の自由」を解剖してきた話。

そもそも家づくりの目的は、「怒らない」ことでした。

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ADHDの診断を受けた私と息子。

世間が押し付ける「良妻賢母」や「標準的な間取り」をそっと解体し、個人の努力(根性論)ではなく「構造の力」によって、みなかみの豊かな水のそばで暮らすようになって5年。

私たちの「小さな革命」は、今もう一つの常識を解体しようとしています。

それは、「家族旅行=全員で、常に一緒に行動しなければならない」という、世間が作った「美しい家族の記号」です。

 

今年、私たちは家族の年齢と興味に合わせて、別行動をすることに決めました。

夫は息子2人を連れて10日間のカナダ&シアトルへの男旅へ。

そして私は、実母と二人で、ポーランドへの巡礼旅へ。

3歳児を連れて博物館を巡るのは、お互いに不幸でしかないから。

その代わりに、去年の冬、私たちは家族全員で、3歳の娘が100%主役になれる場所──香港ディズニーへと旅立ちました。(その後の街観光は完全に私の趣味だけど…)

 

そこで私たちが目撃したのは、単なる観光地の景色ではありませんでした。

それは、世界で最も過密な都市の底に眠る、「人間を管理・記号化しようとする世界のバグ」と、そこから「個人として生きてやる」と抗い続ける人間の圧倒的な生命力のドラマでした。

記録を、ここに残します。

香港名物の伝統技術でありながら、皮肉にも先日の大規模火災の一因にもなってしまった竹組。

カプセルと笑顔の兵馬俑──「普通」を擬態するコスト

香港ディズニーランドという、高度なシステム工学によって100%安全にサニタイズ(消毒)された「光のユートピア」を家族みんなで楽しんだあと、私たちはアジア最先端の美術館「M+」へと足を運びました。

そこで私の脳のセンサーが激しくエラーコードを吐き出したのは、1960〜70年代の日本の建築家たちが提唱した『カプセル・メタボリズム(新陳代謝)』の展示でした。

未来のライフスタイルとして描かれた、四角い最小限の箱。

映像のなかで流れるカプセルの暮らしを見て、私は「あんなおうちじゃ、私、死んじゃう」と恐怖を覚えました。

それは、高度経済成長期という戦場へ向かう企業戦士たちを、24時間効率よく管理するための「使い捨ての格納庫」に他ならなかったからです。

 

人間をシステムに最適化させる都市計画。

昭和の家電ポスターが掲げる「ひろがる人間らしさ」というコピーの裏で、企業は大量の在庫を個人宅へと流し込み、個人の家を「倉庫」に変え、母親たちに「良妻賢母」という属人化したワンオペの呪縛を強要してきました(でも企業は悪者ではないよね。そういうシステムなだけ。)。


美術館の檻のなかに並ぶ、目を閉じて狂ったように大口を開けて笑う等身大の彫刻たち(岳敏君)。


彼らは、システムの前で感情を奪われ、「健全でハッピーな従順な市民」という記号を完璧に演じるために笑い続けている。香港以外の現代人の姿にも重なります。

自分を必死に『普通』に見せようとするコスト、時間もお金も精神力も、ひどいよね…。

自由を求めるには地下に逃げるしかないのか…?

かつてデパートで服やコスメを買い漁り、貯金ゼロで「普通」を擬態しようとへとへとになっていた過去の私の姿が、その冷たいアートのグリッドのなかに重なって見えました。

 

ビクトリア監獄──「移動する民」への弾圧と見えない壁

次に私たちが訪れたのは、イギリス植民地時代の刑務所をリノベーションした文化施設「大館(タイクン)」でした。

そこで出会ったのは、中央の1点からすべての独房を100%管理・監視する悪魔の間取り「放射型監獄(パノプティコン)」。

支配者は常に、民衆が、そして弱者が「自由に移動すること」を嫌い、恐れます。

1980年代、この監獄の冷たい壁の内側に閉じ込められていたのは、ベトナム戦争の地獄から自由を求めて海を渡ってきた「ベトナム難民(ボートピープル)」たちでした。

彼らはただ生きるために「移動」しただけなのに、システムによって「不法移民」という記号を貼られ、身体と精神の自由を剥ぎ取られたのです。

それでも、監獄の壁には、1984年に裁判を待っていたベトナム人が刻んだ生々しい落書き(名前)が残されていました。


それは、「俺は国家の都合になんて屈しない、ここに一人の人間として生きていたぞ!」という、むき出しの尊厳の叫びに見えました。

そしてリノベーションされた監獄の壁が私たちに投げかける、あの深くて重い「問い」の数々は…私の胸をえぐりました。

「この壁の内側と外側にある人生の試練は、私たちが想像するほど違っているのだろうか?」

  • 死とは、監禁からの究極の解放なのだろうか?
  • 死は、生について私たちに何を教えてくれるのだろうか?
  • 悲しみや苦しみがある中で、人はどのようにして人生を最大限に生き抜くことができるのだろうか?

  • 刑務所システムは、犯罪を誘発している根本的な社会問題に対処しているだろうか?

 

鉄格子の内側にある刑務所も。

鉄格子の外側にある、都会の過剰消費のマンションも、満員電車の雑音も、SNSの視線による相互監視も。

人間をシステムのために管理し、普通を強要し、個人の尊厳をすり潰そうとしてくるという意味では、外の世界も等しく「監獄」ではないかしら…

 

人を変えるな、環境を変えろ──令和の『洗冤録』として

旅の終盤、香港医学博物館で、私は激しい怒りと、同時に絶対的な確信を手にすることになります。

私の胸をフェミニズム的な激怒で満たしたのは、かつて中国の上流階級の女性たちに強要されていた「纏足(てんそく)」の展示でした。

花の刺繍が施された美しい小さな靴。

そのケースの裏に隠されていたのは、骨がグチャグチャに破壊された残酷なX線写真と、「歩行困難」をもたらすという冷酷な医学的合併症の記録でした。

なぜ、こんな残酷なことを「美徳」として女性に強いたのか。

理由は明確です。

女性から「走る、移動する、逃げる」という自由を物理的に奪い、男性社会の都合のいい「所有物(記号)」として家の中に幽閉するためです。

かつてエドゥアール・マネが絵画で暴いた、女性を都合よく記号化する男たちの視線の搾取。
作家コレットが自ら引きちぎった、身体を締め付けるコルセットの檻。

それらすべてが、この纏足の骨の変形と一本の線で繋がっていました。

 

けれど、医学の歴史の底には、その「根性論(苦痛の強制)」というハラスメントの呪文から人間を解放しようとした、天才たちの反骨の歴史もありました。

身体の激痛を排除した「麻酔」の発見。

談話によって心の澱みを紐解いたフロイトの「談話治療(talk therapy)」。

そして、13世紀の中国で出版された、死者の無実の濡れ衣をロジックで洗い流すための世界最古の検死マニュアル『洗冤録(せんえんろく)』。

これを見たとき、私は自分がライフオーガナイザー(CLO)として、お客様のパンクした部屋の床の上でやっていることの意味を理解しました。

社会のバグだらけの欲望ハックや間取りのせいで、毎朝パニックになり、探し物をし、自己責任の刃で「だらしない」と濡れ衣を着せられてきた当事者たち。

彼らに対して、「気合いで片付けなさい」と麻酔なしの手術のような根性論を強要するのはただのハラスメントです。

やっぱり人を変えるんじゃなくて、環境を変えたい。。

"The word 'autopsy' means to 'see for oneself'."
(解剖[オートプシー]という言葉の語源は、『自らの目で確かめる』という意味である)

世間(システム)は、部屋がモノで溢れてパンクしてしまった人に対して、「だらしない」「怠けている」という、中身のない「ラベル(呪文)」を貼り付けて、本人に罪悪感を背負わせます。

私たちCLOがやっている「解剖」は、その世間が用意した嘘のラベルを一切信じず、部屋という名の肉体の「内部構造(動線、間取り、モノの堆積の地層)」を自らのメス(ロジック)でバラバラに開き、「本音のところ、ここで一体何が起きているのか?」を自らの目で確かめる(See for oneself)行為に感じます。

誰かを自己責任で責めるのではなくて、片付けを社会課題として扱いたい。
個人で解決できる人もいる。でもみんなそうではない。
構造を変え、新しい社会をデザインできたら…

 

新しい時代のプリンセス──自分にできる魔法で

香港という街は、過密で、競争が激しく、格差の激しい、生きるのが本当に大変そうなシステム社会でした。

けれど、そこに生きる人々は、最高にタフで、あったかくて、尊敬に値するエネルギーに満ちていました。

最終日の朝、私たちがアジア最高峰 of 最高峰の知性が集まる「香港大学」の学食を訪れたときのこと。

学生証が必要だと知らずに困っていた私たちに、一人の素敵な女性の学生さんが「私のカードを使っていいよ」と、システムの壁を軽々と超えて学生証を貸してくれました。

その空間のなかで、ベースとなる安心感に包まれた息子たちはいつも通りZ会のノートを開き、「なんか良い気分!」とのびのびと勉強していました。
あの優しいお姉さんに本当に感謝!

そして、この旅の本当のクライマックスは、3歳の娘が放った一言でした。

当時アトピーで真っ赤だった5歳で「私には王子様は来ない(既製品のハッピーエンドのレールには乗れない)」と確信していた私が、香港ディズニーで娘にエルサのドレスを着せてあげられたこと。

まずそれがどれほど嬉しかったか。

さらに。ふと娘に「プリンセスってなぁに?」と聞いたとき、娘はきらきらした目でこう答えました。

「プリンセスはね、自分にできる魔法で、人を助ける人なんだよ!」

私の時代では、「きれいなドレスを着て、かっこいい王子様に守られる受動的な存在」だったプリンセスの定義が、3歳の娘のなかでは、自らの力で城を建て、大切な人を守る自立した存在へと、完璧にアップデートされていたのです。

 

時代も、価値観も、定義も変わっていく。

「普通」の擬態コストをゴミ箱に捨て、自分にできる魔法(環境のハック)を使って家族の尊厳を守り続けている私の背中を、娘はちゃんと見ていてくれたのかもしれません…

いや、見ていたのは「FROZEN」です。はい。すみません。

 

過去の、擬態に疲れていた私へ。そして、今も部屋の片隅で「自己責任」という濡れ衣を着せられて泣いているすべての当事者へ。

本当は、私たちは最初から自由です。

「働かざる者食うべからず」「自己責任」「これが普通」の呪文を解いてみましょう。

システムからの丁度良い距離感を見つけて、自分たちの脳の特性を丸ごと愛して生きていこう。

私たちのそのままで、環境の方を変えてみよう。

ガチで「だらける」ためのリビングを必死で作る②ガジェット大好き家族へ届け!配線ルート

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前回、大型犬(ベン1歳。名前はピーター・パーカーの叔父さんや、ベン・ソロから授かりました。スパイダーマンとスターウォーズ見てない方ごめんなさい。)の出現により、我家のリビングがどう大変身したかをお伝えしました。

「だらけたい」その一心で

写真の通り、「3分の1は床面積を残す」というオシャレルールを犠牲にしてまで、5人家族と大型犬がお昼寝できるようにしたのでした。

みんなの乱れ様が凄い!

真ん中のスペースも好きみたい。みんなを見渡せるからかな。

充電しながらPCと犬をいじれるようになりました。
今回はその配線をどうしたかをお話させていただきます。

通したいコードあれこれと、カオスなスタート

ゲーム機3台、Alexa、エアコンのリモートリモコン?、間接照明を4種類、充電コードPC用/スマホ用などなど…

コンセントはリビング壁側にに3箇所ありましたので、それを最大限に活用しました。

こんなカオスな状態からスタート!

お掃除ロボットに巻き込まれずに、何が何のコードかどうかわかるように、必要なコードを必要な場所へ届かせるミッションの始まりです。

 

お助けグッズはだいたいTEMで買う

材料はこちら↓最近はTemuで買うことが多いです。

100均でもよいのですが、ネットで買えるのは便利。ニッチなお助け商品が売っていますし、返品が簡単なので買い間違えても大丈夫なのが安心。

  • はがせる両面テープ
  • コードをまとめるマジックテープ
  • 何のコードかわかるように付ける印(油性ペンとのセット商品でした)

コードの名前を書いていきます。

付けるとこんな感じ。わかりやすい!

 

本棚をゲーム充電ステーションとして利用

リビング本棚の一番下に、最近使っていなかったニトリのワゴンを再利用。

一番下段から。電源タップコーナー。

中段はSwitchのコントローラーを立てて収納して(ケースもTEMで購入)

手前に、Switchのケース(ソフト入り)を。

一番上がSwitchの充電ステーションです。今は2台分。娘も持つことになっても詰めれば3台入るかも。

ソファの横に少しだけスペースが余っているので、ワゴンを引き出せば取り出せます。

でも奥に寄せれば外からは見えない↑。

 

ソファ裏コンソールテーブルの中を、コードはゆく

次。まず「ソファ裏コンソールテーブル」と検索して出てきた商品を、テレビ台を挟んで3台置きました。

ここへ、テレビまでSwitchのコードを忍ばせますが、コードが長すぎちゃったので下を通しました。ルンバに絡まらないように、巾木の上をコードカバーで覆って、まっすぐに届かせます。

次に、PC用&スマホなど用のコードを通していきます。

最大限コードを伸ばせるように、中間部分(何ていうんだろうこの部分…)は剥がせる強力両面テープで浮かせます。

コンセントタップも同様に浮かせます。

複雑だけどこんな感じ。絡まないように余分はマジックテープでゆるくゆわいて。

コードの出口。なくならないようにコードのJ磁石で止まるストッパーを(これもTemu)。

PC用はそれとわかるように、こちらにも印をつけました。

この印、両面テープと併用するとこんな使い方もできました↓

ソファ左側裏の全体↓

スポットライトのコードも床を通らないように浮かせてコンセントまで届かせています。

 

注意:コードはゆるくゆわいてご安全に。

写真見て気がついた、ちょっとテンションかかってるかも…あとで直そう…ゆるくしないとコードが痛みますよね。気をつけないと。

 

テレビ台について。壁掛けは勇気が出なかった。

飽き性の一家なので、テレビの場所変えるかも知れない…ということで、テレビスタンドを購入して使いました。

テレビ台は見やすい高さに調整するため&動かせるように、荷重チェックOKだったキャスターに乗せています。

根本は複雑だけどこんな感じ↓

テレビ裏に仕込んだテープライト、スポットライト、テレビはAlexaで操作できるように、そういうコンセントを挟んでいます。

わーい完成!

これで充電切れを気にせず、Coffee片手にリラックスできそうです。

奥行き10cmでできることっていっぱいあるよね。本も立てかけて置ける。

ここ↑一番人気スポットで…

せっかく広くしたのになぜかぎゅうぎゅうに集まってるというオチでした…。

 

以上、どうでもいいかもしれない、リビングの配線事情でした。

デジタルもいいけど、お散歩もかかせませんね。終わり。

 













 

ガチで「だらける」ためのリビングを必死で作る①大型犬に奪われたソファ…人間のスペースを取り戻す!

受難の旅は、一匹の大型犬の出現で始まった…

ラブラドール×ダルメシアンのMIX犬現る。

徐々に背後のおもちゃやぬいぐるみ、本棚までも、彼のターゲットとなり、避難することになってゆく…

始めはゲージもクレートもあり、彼のBathroomもあって、人間との棲み分けが、まぁまぁなされていたのである。

しかし人間と一緒に遊びたい、人間とともにくっついていたい!

我々人間だって彼とくっついていたい!

したがって、彼の行動範囲は1階全土に広がっていった…

ちなみにこのラグは、彼の排出する様々なアレを何度も受け止めたことで、引退を余儀なくされたのだった。

「ここ(ソファ)こそ朕のスペースなり。」

背後のクッションは、彼のテリトリーを侵したがため噛みちぎられてしまった。

クレートも、布製にしたせいで噛みちぎられてしまった。

そして彼の身体が大きくなって30kgを超えた頃、とうとう人間がソファに座れなくなってしまったのだ。

人間の我々は5人もいるというのに!!ソファ難民が多数発生することに。

もう一つ問題があった。我が家はガジェット大好き家族で1人1代ずつPCを持っている。

作業しながら充電したい問題もここで浮かび上がってきた。

この頃にはクッションもラグもボロボロに。

買い足した座椅子も、彼の排出するアレに染まっていった。

せっかく用意した彼のためのゲージも、なかなか使ってもらえない…

 

子供部屋リノベ計画

ちょうどその頃、長男が11歳・次男8歳・長女3歳となり、一つの大部屋だった子供部屋を分割し、個室とする計画が持ち上がった。

Before↓

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それで、おもちゃや本の移動は問題なく遂行された。

汚れたラグを撤去。

ボロボロになったクッションや座椅子も撤去。

入れると嫌がるゲージも撤去。

トイレも庭でするようになったので必要なくなり、テレビ台にしていたカラックス(本棚)も各子供部屋に運ぶことで、ついにこんな、寂れた空間に…

この写真では最後のカラックス一つがまだ残っている。

ここにはSwitchやゲーム関連グッズが入っているのでこのときはまだ動かせなかったのだ。

一体これらのゲームとテレビはどうしたらよいだろうか。

座れる場所も限られるので、休日は床でお昼寝するソファ難民が続出。

一体私たちはどこで休息を取ればよいのだろうか。

がらんとした空間で、なんだかくつろげない日々が続いたのであった。

 

多くを失った後に見えてきた希望

こんなふうに多くを失った、まさにその後だったのである。

お犬が、一歳を超えてから急に大人になって落ち着いたのだった。

あの嵐のような日々…朝起きると私たちはあんなに様々な汚れの処理に走らされ、元気に色々噛みちぎっていかれたのに。

これまでは一体なんだったのだろうか?

と同時に、喜びと希望にも満ち溢れてきた。

もうアレもそうそう排出しない。トイレは庭にある。
必要なお世話グッズ(トイレシートやお掃除道具)が減ったことにより、リビング収納がガランと空いている。

今こそ、新しい私たちのリビングを再構成する日がやってきたのだ!

 

リビングをソファで埋め尽くす

理想が語られた。休日は大型犬一匹と人間5人、みんなでお昼寝したい。

ゲームやPCやスマホの充電をしながら、Coffeeを片手に本気でだらけたいっ!!!

私たちは欲望のままに、とうとうリビングをソファで埋め尽くしたのである。

ん?理想の家具占有率は空間の3分の1ですって?

そんなこと気にしない。床で寝るよりはましですわ!!

どーーーーん!壁から壁までソファで埋めてやったぜ!

まぁこれだけ足元空いてればいいんじゃない?

新しいソファ、お犬さんもお気に召したようです。

次回は、この裏側の課題であった、ゲームや充電の配線事情について細かくレポートします(誰も望んでないか?いやでも頑張った記録を残したいの!)。

「なぜできない?」を「無理もない」へ。完璧主義な私が「先延ばし」を乗りこなすまで

「どうしても動けない」「やるべきことを後回しにして自分を責めてしまう」。

そんなループに陥り、苦しんでいる方は少なくありません。

私自身、ADHD特性に伴う完璧主義(ASD傾向)からくる「先延ばし」を何度も何度も経験してきました。

しかし、最新の臨床知見や専門家の知恵を学ぶうちに、これは「心の弱さ」ではなく「脳の配線の問題」なのだと腑に落ちたのです。

「なぜできないの?」と自分を責める代わりに、「今、私の内側で何が起きている?」という好奇心のレンズで自分を観察し、乗り越えていくためのヒントをまとめました。

 

「できない」は怠慢ではなく「機能不全」

ADHDの人が直面する先延ばしは、しばしば意欲の欠如と誤解されますが、その本態は「実行機能の障害」と「感情調節の困難」が絡み合った結果です。

慣性の壁

タスクを開始するには、手順の整理やエネルギーの配分といった高度な実行機能が必要です。

ADHD脳にとって、単に「ソファから立ち上がって歯を磨く」という移行だけであっても、現状の慣性を断ち切るために膨大なエネルギーを要します。

 

分析麻痺

何から手をつければいいか分からず、脳内で過剰に思考を巡らせるだけで疲弊してしまいます。

実際に行動を起こす前に、認知的なエネルギーを使い果たしてしまうのです。

 

興味ベースの神経系

私たちの脳は「重要性や優先順位」ではなく「興味・新規性・緊急性」に反応する独自の駆動システムを持っています。

興味が持てないタスクは、脳にとって「存在しない」のと同義になってしまうのです。

 

「スタック(固着)」モード

意欲はあるものの、システムが一時的にロックされたような状態に陥り、物理的な行動に結びつかない「身動きの取れない苦痛」が実態です。

 

だから

  • ドーパミンと報酬系
    興味を惹かないタスク(例:数ヶ月放置されたスーツケースの片付け)では脳内のドーパミンが十分に放出されず、エンジンがかかりません。
  • アドレナリンへの依存
    「今やらなければ破滅する」という極限の緊急事態、すなわち脅威によるアドレナリンやコルチゾールの分泌を燃料にして、ようやく行動が可能になるケースが多いのです。

 

このような神経学的特性を持つ私たちにとって、一般的な「とにかくやる!」というアプローチは合わないどころか、自己批判を強める害になってしまいます。

この神経学的停滞をさらに強固にするのが、次にお話する「完璧主義」という心理的障壁です。

 

完璧主義という名の「盾」と燃え尽き

ADHDにおける完璧主義は、単なる向上心ではありません。

それは、失敗や批判を恐れ、耐えがたい感情から身を守るための「回避メカニズム」です。

 

拒絶への恐怖

私たちは、小さな頃から人生で数え切れないほどの否定的フィードバックを受けてきました。

「自分はダメだ」と思い込んできた私たちにとって、成果が不十分であることを「自己の存在価値の否定」と感じてしまう過敏さがあります。

これは長年染み付いた自己防衛のための思考の癖であり、死活問題なのです。

いつも「不足感」がまとわりついており、基準を達成できない自分を厳しく責めることで心理的なエネルギーを摩耗させ、結果として慢性的なバーンアウト(燃え尽き)を招きます。

脅威に裏打ちされたドライブ

「やりたい」という意欲ではなく、「失敗したら恥をかく」「失敗したら居場所がなくなる」「そうしないと自分がダメになる」という恐怖を燃料に自分を動かそうとします。

「普通にできない」ことを隠すためのカモフラージュとして完璧主義が発動することもあります。

開始・継続・完了の各段階で「もし完璧にできなかったら…」という恐怖がブレーキをかけてしまいます。

もしこの状態で達成したとしても、悲しいことにそれは満足感をもたらしません。

目標を達成しても「次の失敗への恐怖」にすぐに取って代わられ、内面は常に空虚なまま、心身を摩耗させるだけになってしまいます。

しかも限界を超えた活動を強いるため、極度の疲労とバーンアウトに直結してしまうのです。

 

完璧主義の代償

  • 不安と抑うつのサイクル
    不安(未来志向): 「失敗したらどうしよう」という予測。
    抑うつ(過去志向): 「やはり基準に達しなかった」という自己批判と恥。
  • 身体的代償
    休息のない過剰適応の結果として、脱毛、消化器疾患、皮膚の問題、自己免疫疾患、慢性疼痛、頻繁な感染症などが現れる。

 

「機能している」という罠

表面的には仕事や育児をこなせている場合でも、心の中では絶えず「破滅してしまうような予感」に苛まれており、事故や病気で強制的に休まざるを得ない状況を願うほどに追い詰めらてしまうことがあります。

「いっそ足を骨折してしまえば、堂々と休めるのに」――。

誰かに許可をもらわなければ休めないと感じるこの状態は、心身が限界に達しているサインです。

 

自分に優しく、そして戦略的に「先延ばし」と付き合うためのヒント

「どうしても動けない」と自分を責めてしまうあなたへ。

臨床心理士のミカエラ・トーマス氏(The ADHD Psychologist)の知見をベースに、もっと自分に優しく、そして戦略的に「先延ばし」と付き合うためのヒントをまとめました。

 

1. 脳に「安全信号」を送る心のレッスン

ADHDやASD傾向を持つ私たちが「動けない」とき、脳の中では「脅威システム(不安や恐怖)」が過剰に働いてフリーズしています。

これを動かすには、鞭を打つのではなく、「なだめシステム(安心感)」を起動させることが不可欠です。

ミカエラ氏は、こんな風に自分をケアすることを提案しています。

「無理もない(No Wonder)」という魔法の言葉

自分を責める声が聞こえたら、慈しみの声でこう語りかけてみてください。

「これほど複雑なタスクを前にして、怖くて動けなくなっても、無理もない(No Wonder)。私の脳は今、安全を求めているだけなんだよ」

この言葉は、過剰な不安を鎮め、再び動くためのスペースを心に作ってくれる「許可証」になります。

 

「ナマケモノ」になって速度を落とす

焦っているときこそ、意識的に速度を落とす「スロースモード(Sloth mode)」を取り入れましょう。

また、重みのあるぬいぐるみや温かいパッドを抱えて、その「重み」と「温もり」を肌で感じるのも効果的です。

身体への心地よい刺激は、「今は安全だよ」という信号を直接脳に届けてくれます。

2. 脳を驚かせない「小さな最初の一歩」

タスクが巨大な「氷山」に見えると、脳は脅威を感じて逃げ出したくなります。

だからこそ、氷山を粉々に砕いてしまいましょう。

  • 氷山(巨大なタスク): 「メールを返信する」
  • 氷の角砂糖(少し分解): 「PCの電源を入れる」
  • 砕かれた氷(最小単位): 「キーボードに指を置く」「宛名だけ入力する」

これ以上砕けない!という最小単位の「チップ」にすることで、脳を怖がらせずに着手できるようになります。

 

「楽しさ」という燃料を借りる

義務感(恐怖)で動けないときは、「ゲーミフィケーション(遊びの要素)」を活用します。

お気に入りの1曲(約4分)が流れている間だけ片付ける、といった「ゲーム感覚」を取り入れることで、脳の報酬系にスイッチが入り、純粋な意欲を取り戻しやすくなります。

 

3. 自分だけの「心地よいペース」を見つける

ミカエラ氏は、私たちが健やかに過ごすための3つのPを教えてくれています。

Pause(一時停止): エンジンが焼き付く前に、意識的に止まる。

Purpose(目的): 自分にとっての「心地よさ」を大切にする。

Play(遊び): 義務ではなく、面白さを人生に取り戻す。

「私たちは複雑な状況の中で生きる力を持ちながら、シンプルなことに苦戦しているだけ。今日、靴下を1足片付けられたなら、それは素晴らしい勝利です」

 

私と一緒に「ととのえる」時間を過ごしませんか?

私自身も、この「なだめシステム」の重要性を痛感し、毎日実践を続けています。

先日ビジョンボードを作ったときには、「戦略的一次停止」を思い出すために大きくそれと分かる写真をIMPORTANT欄に載せました。

毎朝のジャーナリングで自分のエネルギー量を観察し、無理のない予定に調整したり、誰かの気配を感じながら作業する「ボディダブリング」を取り入れて、状況整理や起動のサポートを自分自身に行っています。

一人で抱え込んで「なぜできないの?」と苦しくなったときは、ぜひ一緒に「氷」を砕きにきませんか?

 

一週間をととのえる会

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オンラインの片付け会

 

www.instagram.com

 

これらの活動を通じて、心身のチェックやタスクの整理をお手伝いしています。

興味のある方は、いつでもお気軽にご連絡くださいね。

「完璧」を目指す代わりに、自分への「慈しみ」を。

あなただけのペースを、一緒に見つけていきましょう。

lin.ee

yukataduke.com

 

参考・引用

youtu.be