3人目からやっと楽しい
3人目から、子どもたちが可愛くて仕方ない。
末っ子だけが特別可愛いという意味ではでなくて、上の2人のことも、より可愛く感じるようになったのだ。
純粋に子どもたちとの暮らしが楽しい。
一人目のときは、妊娠中から育児書を読み漁り、頭でっかちのこだわりで、ピリピリと緊張していたように思う。
二人目のときは、夫が忙しい時期だった上に、まだ幼い兄のトイレトレーニングと新生児育児が重なり、しょっちゅうパニックを起こしては自己嫌悪になっていた。
そして三人目…時代の風を味方につけた夫が、2年間も育児休暇を取ってくれたのである。
しかも、次男が5歳になって一人で何でもできるようになってからの子。
夫と兄たちが頼もしい協力者となってくれた上での新生児育児はイージーモードだった。
諦めと余裕
二人目までで、育児書通りにはいかないという事実を受け入れ、母親としての自分の実態と限界を知った。
自分にはできることとできないことがある、できることをやるしかない、という諦めに似た覚悟を決めた。
家事育児の手の抜き方も覚え、一人の時間もしっかり作らせてもらい、薬も味方につけたことで精神的にずいぶん楽になれた。
その上での、兄たちの成長、家族みんなの協力。
それら全てが揃って初めて、心から「育児が楽しい」「子どもが可愛い」と感じられるようになったのだ。
本当に、やっとだよ。
「育児が楽しい」の貴重さ
「育児が楽しい」ということは、なんて難しいんだろう。
希少な条件が重ならないと、なかなか実現できないことだ。
もし、「育児を楽しめてない」と思う方がいても、全く不思議ではない、というよりその方が自然だとさえ思う。
だからこそ、「育児が楽しい」「子どもが可愛い」と思えたその瞬間、身体中の細胞を総動員して喜べて、感謝の気持ちが湧いてくる。
4人目に会いたくなるほど。
最近あまりに子どもたちが可愛くて、4人目に会いたくなってしまうときがある。
新しい出会いにワクワクする、友だちを増やしたい感覚に似ている。
単純にメンバーが増えると楽しいだろうな、と。
家族の人数が増えると、自分の存在が薄くなっていくのがなんか良い。
居心地が良くなる。
責任感がないのかもしれないけれど、自分の影響力なんか持ちたくないから。
昔からみんなが楽しそうにしているのを傍から見ているのが好きなのだ。
そして子どもたち同士で勝手に切磋琢磨し、影響を与えあい、協力して成長する姿を見るうちに、兄弟が多いのは、親ばかりが頑張らなくて良くて助かるなぁと思うのだ。
今度こそ最後の子
とはいえ、自分のキャパシティは一人目の時からとうに超えている。
3人の子どもたちに充分目を配ることもできていない。
夫も仕事に戻り、これから忙しくなる予定だ。兄たちも然り。
だから、4人目は我慢して3人をできる限り丁寧に育てていくつもりだ。
よちよち歩きの赤ちゃんの可愛さを間近に見られるのは、もう最後だと思うと、より一層、この育児期間を大切に思える。
変化を受け入れる
今日は、初めて履かせた小さな靴下(~12cm)と、さよならした。
嬉しいやら、寂しいやら。
春には次男が通園バッグをランドセルに持ち変える。
長男は私も悩むような問題を解くようになった。
子どもの成長は、親にいつも「変化」を受け入れるよう促す。
いつまでも子は可愛いままではいられない。
親は可愛がるだけではいられない。
変化を喜び、常に最新版を一番愛したいと思う。
なんてこと無い平凡な母のつぶやきって、どのくらい語られてきたんだろうか。
私はそのあたりを語っていきたい。
とっておきたい。
瞬間瞬間を愛した記録を。