家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

小さな変化で、大きな幸せ

「一つ、一つ」

元職場に、憧れの上司がいました。

いつも美しい姿勢で、落ち着いていて、トラブルがあっても優雅に対処。

ユーモアに溢れ、場を和やかにしたかと思えば、本質をつく重みのある言葉をピシャリと放ち、皆に必要な緊張感を取り戻す。

言葉のリズムの緩急で、場の雰囲気を自由自在に操れるような…深く響く魅力的な声でした。

(そして、私が起こしたミスでどんなにご迷惑をおかけしても、決して私の人格を否定することなく、より良い方法や知識を身につけるよう助けてくださいました。

本当に感謝しています。)

 

ある時、職場の皆で目標を書き出すワークをしました。

テーブルウェアの売り場でしたので、「一日いくら売り上げる」とか、「こんなふうに接客したい」なんてことを書いてる方が多い中、その上司はこう書いていらっしゃいました。

 

「一つ、一つ」

 

とてもシンプルで力強い言葉に、私は釘付けになりました。

マルチタスクを華麗にこなしているように見える方でも、大切にしているのは「一つ、一つ」なのか…!

そのワークをしたのは十数年前のことなのに、今でもその時の驚きが忘れられません。

 

パニックになりそうなときのおまじない

私はやるべきことがいくつも重なると、パニックになってしまいがちです。

 

例えば、下の子が食べこぼしで手も顔もテーブルも床もグチャグチャ。

そんなときに限って、上の子がおもらしするとか、何か壊すとか、怪我して泣くなんてことが起こるものです。

夫もいれば笑えるようなことも、一人なら、全て投げ出して丸くなって、泣いていたくなります。

 

そんなとき、あの言葉を思い出します。

 

「一つ、一つ…。一つ、一つ…。」とおまじないのように唱えながら、実際に一つ一つクリアしていくのです。

 

一つ、上の子の様子を確認。待てるなら少し待ってもらう。

一つ、これ以上汚れが広がらないように、下の子とその周りをざっと拭う。

一つ、汚れた食器や服などはとりあえずシンクへ。

一つ、上の子のケア。怪我してるなら簡単な手当て。

一つ、壊れたものやおもらしの掃除片付け。

一つ、シンクの片付け。洗濯。

 

多少は下の子に泣かれても待っててもらい、とにかく淡々とこなしていきます。

 

マルチタスクに見えることも、分解すれば、シングルタスクに。

分解することで、やることが明確になって迷いません。

一度に一つしかできないと諦めて覚悟すれば、集中できます。

一つ一つクリアする事に達成感と安心感が持てます。

 

私にとって「一つ、一つ」という言葉は、今ではパニックを防いでくれる「お守り」なのです。

 

冴えない日も、それなりに。

この方法を取る前までは、恥ずかしながら本当に、頭が真っ白になって、泣いて、しばらく動けなくなってしまうこともありました。

 

…いや、一度そうなってしまったとしても、もういいのです。

そういう自分を最近では受け入れています。

 

辛くてしばらく動けなくても、少し休憩できたのだと考えます。

罪悪感に浸らずに、なんとか一つでもクリアする。

一つできたら、また一つ。

 

その繰り返しが日常です。

冴えない日も、なんとか一つ、どうにか一つ。

冴えないなりに、それなりの一つ。

何もしないよりは、1つでもできればずっと良いと思います。

 

小さな変化が、大きな幸せにつながる

先日キッチンの引き出しを1つだけ整理できました。

すると、今までどこにも入らなくて出しっぱなしになっていたマグカップを、そこへしまえるようになったんです。

そうしたら今度は、マグカップがあった場所が空いてすっきりし、殺風景なほどに。

 

その時、お花を飾りたかったことを思い出しました。

ピンタレストで集めていた憧れのキッチンには、必ずと言っていいほどお花が飾ってあり、「花のあるキッチン」が夢だったんです。

早速持っている空き瓶にお花を飾ると、凄く凄く嬉しくて、幸せな気持ちになれました。

(水回りにお花を飾るのは、「ついで」に水換えができるので理にかなっています。)

キッチンに花を飾れただけで…ささいな出来事かもしれません。

でも私にとって「1つ頑張ったことが、良い循環を生み出して、夢が一つ叶った」という経験は、大きな自信となり、また次の「一つ」を頑張るモチベーションにもなりました。

 

これからも、一つ一つを大切に、小さな変化を絶えず起こしていきたい。

それが大きな幸せにつながると信じています。