悲劇のヒロインからの脱出
何か辛いことがあったとき…私の場合、喘息やアトピー、ADHDの症状、大恋愛後の失恋など。
そんなときは、こんなに苦労しているのだから、自分は特別なのだと思い込みたい気持ちがありました。
そうじゃないと割に合わない!悲劇のヒロインの気分です。
でも実際には、自分だけに起きたことでも、大した苦労でもなかったことも、大人になるにつれてわかってきてしまいます。
「自分は平凡である」
それを自覚するのは苦々しいことでしたが、受け入れてしまうことで、できるようになったことがあります。
新しいチャレンジができる
例えばブログ。
平凡なことしか言えないことはわかっていました。
こんなこと書いても誰も感心しないし、注目されないだろう。
ブログを書くのは勇気が要りました。
書いてみたら、自分が平凡であることがわかってしまうから。
でも、書いてよかったと思います。
自分の考えを整理して、備忘録として残しておくことだけでも価値があります。
それに、一つ一つ書き終えたあとの達成感は、自己肯定感を確実に高めてくれました。
ほんの少しでも、読んでくださる方、☆をつけてくださる方がいると、とても嬉しくて、生活に張りが出ました。
好きなことが素直に楽しめるようになる
趣味に関しても同じことが言えます。
以前は、その道にすごく詳しかったり、すごく上手でないと、趣味と公言してはいけないような気がしていました。
また、実は大好きだけど地味なことを、趣味と呼んでいいのか分かりませんでした。
でも、最近は、特別詳しくなくても勇気を出して、文章を書くこと、映画、小説、美術館が好きだ!と思い切って言うようにしています。
そして、「ぼーっとする事が一番の趣味」であることを素直に認めました。
そうすることで、もっと人と話すことが楽しくなったし、詳しい人から色々教えてもらえるようになったし、好きなことを思い切り楽しめるようになりました。
意外にもステップアップがしやすくなる
ありふれたことを淡々とこなす日常は、モチベーションを保つのが難しいと感じます。
例えば育児。
基本的には、オムツ替え、食事、お風呂、寝かしつけという単純なお世話の繰り返し。
これを毎日頑張ったところで、「当たり前」のような気がして、特別感はありません。
書店で育児のコーナーを見ていると、多くの親御さんが、我が子には「特別な存在」になってほしいと願い、そのための「特別な方法」を求めているんだなぁと感じます。
私自身ももちろんそういう気持ちは少なからずあります。
でも、私は「当たり前」を繰り返すだけで精一杯。
それ以上のことを目標にしたところで苦しくなって、「当たり前」すらできなってしまいます。
だから、目標を一つに絞って、睡眠だけは、しっかり時間を確保してあげようと決めました。
外が暗くなったら部屋の明るさを絞り、7時以降は大人もテレビをつけない。
8時には大人も布団に入る。
それだけには注意してきました。
でも平凡なことを地道にやるだけでも、なかなか良い生活が送れていることに気が付きました。
子どもたちは朝、勝手に自分ですっきり起きて、勉強を始めます。
自分にも子どもたちにも「平凡」であることを許し、過度に求めずにいたら、自然とうまくいくこともある気がしています。
デメリット
題名に「メリット」という言葉を使ったのは、もちろんデメリットもあると思うからです。
自分の、そして子どもたちの限界を決めつけてしまうのは、よくありませんよね。
「特別な存在でありたい」という気持ちは抑えるべきものではなく、それがモチベーションになって頑張れるときもあります。
平凡な毎日に無理やり満足する必要はなく、創意工夫して、特別な毎日にしていきたいものです。
平凡を愛でてみる
ただ、「平凡な自分」を隠そうとして新しいチャレンジに踏み切れなかったり、好きなことも素直に楽しめなかったり、自分にも家族にも過度に求めて空回りするくらいなら。
一旦「平凡」であることを認めてしまおう、という提案です。
ついつい、人は二項対立でものを考えがちです。
才能のある人↔ない人、幸せな人↔不幸な人、など。
でも実際には、その中間にいる人が大半なのではないでしょうか。
何かがちょっと得意、ちょっと苦手。ほどほどに幸せ、ほどほどに不幸、のように。
平凡なことは恥ずかしいことではありません。
また、平凡なことは、個性がないということでもありません。
何かに突出していることだけが個性ではなく、色々な要素の割合、バランスが一人ひとり違っていて、それがその人らしさになるのだと思います。
何かがちょっとずつ上手で、何かがちょっと苦手で、いい感じの日とそうでない日がある。
そんな自分と家族と毎日を、愛でていきたいなと思います。
ホットミルクにインスタントコーヒーを少し入れたカフェオレと、焼き芋。
素朴で平凡だけど、私には最高の組み合わせ。