朝起きたらカーテンを開けて、窓の外を見ながらお水を飲む。
上の子たちを送り出したら、末っ子を連れて移動。
病院、図書館、公園などへ。
帰りにスーパーに寄って、帰宅。
簡単に作った夕食。
こんな「ふつう」の日々に、一つ一つ感動できたら、素晴らしい人生になると思いませんか。
最近、深澤直人さんの「ふつう」という本を読み始めました。
施設でお借りして読んで今手元にないので、うろ覚えですが、最初の方をまとめると、
「ふつう」なことは、通常自覚できない。
自覚できないようなことだから「ふつう」だとも言える。
でもあるとき「ふつう」が自覚できて、それがいいな、と思える時
その「ふつう」は「特別」なのである。
そんな時人は幸せを感じる。
そんなことが書かれていました。
深澤直人さんは世界的なデザイナーの方ですが、いつも「ちょっといいふつう」を目指してデザインするそうなんです。
「なんだ、ふつうじゃん」という言葉を、褒め言葉として受け取るそうです。
ここまでの話で、人によって様々な解釈や思いを持たれると思うのですが、
私は、こう思いました。
ああ、最近幸せな理由がわかった。
今までの「ふつう」が、全部グレードアップして、「ちょっといいふつう」になったからなんだ。
旅行やイベントなんかの特別な日が特別でも驚かないけれど、
「ふつう」の日が「特別」になったから、こんなに感動してるんだ。
朝起きたらカーテンを開けて、窓の外を見ながらお水を飲む。
→窓の外には溢れる緑、遠くには山。空気も、水道水も、とても美味しい。
上の子たちを送り出したら、末っ子を連れて移動。
→空いている運転しやすい広い道を、車で移動する。景色は美しい自然。
病院、図書館、公園などへ。
→どこに行っても空いていて、広々していて、快適。のびのび遊べる。
帰りにスーパーに寄って、帰宅。
→スーパーももちろん空いている。
車なので、大量に本を借りた図書館帰りでも、重たい買い出しが子連れでできる。
簡単に作った夕食。
→農家さんやご近所さんにいただく新鮮野菜が美味しい。家庭菜園の野菜も。
冬はイノシシ、鹿、クマのお肉も味わえて面白い。
東京にいた頃は、窓の外はすぐそばに隣の家があって、レースカーテンは必須だった。
駐車料金が高かったり数が限られているので、基本的には電動自転車での移動だった。駐輪場もいっぱいなので、停めるのに苦労した。
子どもを前後のカゴに乗せて、重たい荷物を背中に背負って、何度か転んで怪我をした。
病院はいつも激混み。
図書館では目当ての本が予約待ちでいっぱい。
子どもを乗せた自転車では、少しの冊数しか借りて持って帰れない。
買い物も同様。レジには長蛇の列。
近くの公園は、ボール遊びも木登りも禁止されている。
お出かけは電車やバスを利用。
元気な息子の手を引っ張って人混みを縫って歩くのは大変だった。
何度も迷子になりかけた…。
それが当たり前だと思っていたので、何とも思っていませんでした。
でも地方移住して、「ふつう」の生活が変わった時に、これが「ふつう」だなんて、なんて素晴らしいんだろうって思ったんです。
「ふつう」の用事が快適になって、「ふつう」に目にする景色が美しくなって、子どもたちが子どもらしく「ふつう」に遊べるようになって、「ふつう」の食事が美味しくなった。もちろん、読書量も格段に増えた。
地方移住については、農業を始めたいとか、地域おこし協力隊になるとか、田舎暮らしに憧れを持ったごく特殊な人がするものだと思っている方も多いと思います。
でも、我が家は東京も大好きで、夫は東京の会社に勤めている、ごく「ふつう」の家庭です。
今住んでいる町は、子育て世代の多くの方にとって非常に暮らしやすい町だと思います。
(ADHDだというのは「ふつう」とは言えないかもしれませんね…ちなみに診断を受けたのは地方に引っ越した後で、ADHDであることは移住と関係ありません。
ADHDの人は地方に行けと言っているのではありません。)
マイナスイメージの情報も多い地方移住ですが、我が家は(特に夫が)合理的に判断して選択した道です。
本当にしてよかったと実感していますし、自信を持っておすすめできます。
今後少しずつ地方生活の様子や、メリット・デメリットをお伝えしていければと思います。