不登校って、生徒や家庭の問題にされがちだけど、「行きたくなくなる学校である」というのはちゃんと問題にされているのかな。
退屈でもじっと何時間も座り、集会では退屈な話も立って聞かなくちゃいけない、それを我慢する訓練、その時間の虚しさに疑問を持つと辛いから思考停止する習慣づけ、それらを子どもの貴重な時間を使ってする意義をどうか教えてください…なんて過激すぎかな。
たくさんの子どもたちを給食付きで長時間安全に預かってくれることにはもちろん感謝してます。
ずっと楽しませ続けてくれとは言わない。
様々な子をまとめて面倒見なければならないから、今の体制だと統制とらなければ大変なこともわかる。
ただ、不登校の子ども、家庭だけが悪いって言われると残念に思う。
通信教育やオンライン講座で効率よく学べたら、できる子はもっと自由時間が増えて充実した時間が過ごせるし、その子達を解き放つことで、ケアが必要な子にもっと手をかけられるようになるのでは。
学校の機能を、勉強と体験と保育所に分けて考えてみれないかな?
勉強は自宅でもできるから。
学校はこれ↓に特化してほしい。
・体験学習(実験や芸術系)
・安全に預かってくれる学童(保育所)として
・リアルで友だちや親以外の大人と遊べて、イベントや共同作業を経験できる場
・わからないことを質問できる
行く、行かないは堂々と選択できるといいな。
これだけテレワークが普及して、毎日出社しなくて良くなって、私生活を充実させられる大人が増えてるのだから、子どももそうさせてほしい。
リアルでできることと、オンラインでもできることを、わけて再構築してほしい。
以上、授業が退屈で耐えられず、黒板に書く音と板書が苦痛なADHD&書字障害の息子がいて、週一休んでOKにしてしまっている母からでした。