家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

暗くて、最後には明るい話

ブログを書き始めて今日で23日。一度休憩して…

 

自己紹介がわりに、これまでの経緯と、「わたしがブログを書く理由」をダラダラ書きたいと思います。

 

私はADHDですが、その前にずっとアトピーや喘息のことで悩んでいました。

子どもの頃ひどいアトピーだった私に、男の子からつけられたあだ名は「ぶつぶつきゅうり」。

せっかく可愛いドレスを買ってもらっても、血だらけにしてしまう。

いつも痒くて、痛くて、不快でした。

シミ一つ無い、真っ白な肌の広告を見るたびに、いちいち傷ついていました。

ホコリやペットの毛で喘息が出てしまうので、お友達の家に遊びに行くたびに喘息を起こし、帰り道に点滴を受けるため病院に寄りました。

流行りに疎く、足も遅く、会話も下手くそ。

支度が遅くて遅刻・忘れ物ばかり。

授業中は起きていられなくて、居眠りばかり。

2年間ほど、いじめらしきものを経験しました。

ストレスから髪を抜くようになり、後頭部の耳の高さから下は、髪がありませんでした。

 

自分を愛してくれる人は生涯現れないだろう。

小学校を卒業する頃にはもう、女性の幸せ(と言われている類のもの)はほとんど諦めていました。

 

転機は高校生の時。

その頃には喘息はなくなり、だいぶアトピーも良くなりました。

とはいえ「キレイ」とはとても言えない状態です。

それでも、「気にしないよ」と言ってくれた人がいました。

私とは全く真逆の、超ポジティブな元気いっぱいの人。

彼は私のことを、「面白い」と言ってくれました。

初めての恋愛は一番の薬となり、肌の状態はかなり良くなりました。

大学を卒業して私が社会人になった春まで、お付き合いしていました。

 

事情により別れてしまい、今度はどん底に。そのせいではないのですが、

自分でも信じられないほどのひどいミスの連発で、会社の顔に泥を塗り続けた4年間。

「努力が足りないからできないんだ。」「最悪な自分を変えなきゃいけない。」と必死にやっていましたが空回り。

気が付かない、気が利かない。

段取りが悪すぎる。何をするにも時間がかかりすぎる。

人前で計算すると、単純な計算でも必ず間違える。

忘れないようにメモしても、メモを見るのを忘れるか、なくしてしまう。

上司も先輩も同期も優しい方ばかりで、皆さんに散々支えていただきながらも、全く仕事ができるようにはなれませんでした。

頭が朦朧としていました。

罪悪感からか、全身に蕁麻疹ができ、何年も治りませんでした。

 

そこに、「頑張らなくていいよ」「変わらなくていいよ」と言ってくれる人が再登場。

紆余曲折を経て、初めて恋愛したあの彼と結婚することになりました。

仕事は辞めてしまい(逃げて)、もう人に迷惑をかけ続ける日々から開放されました。

もちろん、家族になった彼→夫には迷惑をかけ続けることになったわけですが。

蕁麻疹は治りました。

 

なんで結婚してくれたのか未だによくわかりませんが、聞くとまた「面白いから」とのこと。

 

二度目の転機は、夫のアメリカ赴任についていったときのこと。

初めての育児を、しかも海外で、ということで不安でいっぱいだったのですが、同じ気持ちのお友達ができました。

「ママ友」っていうと、なんだか怖いイメージしかなかったのですが、予想に反してとにかく心強い友でした。

毎日のようにお弁当を持って公園に集まり、子どもたちを一緒に遊ばせ、イベントに参加し、教会の語学学校に通い、悩みを話し合い、たくさん笑いました。

これまで部活も、アルバイトも、仕事もうまく行かなかった私には、初めての「青春」でした。遅くなっても、青春はちゃんと来てくれたんです。

 

その後も色々ありました。

夫がベンチャー企業に転職して、お給料が半分になり、山程ものを手放して、可愛い小さなアパートで暮らしたこと。

次男が生まれ、長男のトイトレと新生児育児が重なって、発狂してたこと。

ワンオペ育児に疲弊しつつも頑張れたこと。

時々夫に子どもを預けて一人旅に出かけたこと。

夫がまた転職して、新しいチャレンジに一緒にワクワクしたこと。

コロナで夫がほとんどテレワークになって、家事育児がメイン?ってくらいにしてくれるようになったこと。

アウトドアを死ぬほど嫌ってた私が、地方移住して山と川で思い切り遊ぶようになったこと。

まさかの三人目を産み、夫が育休を2年も取って支えてくれていること。

 

こんな毎日がやってくるなんて、昔の私に言ったらびっくり仰天したと思います。

人生、何が起きるか、本当に本当にわかりません。

なのに「将来もずっと幸せなはずない」って決めつけて憂鬱でいる時間は、やはりもったいなかったと思います。

嬉しいハプニングやチャンスがやって来るかもしれない、もしくは全然来ないかもしれない。わからない。

それでも、来る日のために、日々準備しておくしか、できることはないのです。

 

私が発達障害の診断を受けたのは、3年前、34歳のときです。

今更…とはいえ、診断を受けて良かったです。薬が飲めるようになったから!

初めてアトモキチセンを飲んでしばらくして効き始めた頃、視界と意識がクリアになって、感動しました。

私は不注意優勢型で、いつもボーっとしているのですが、ずっと自分はモヤの中に住んでいたのだ、とその時に知りました。

感情の波もおだやかになり、育児もしやすくなりました。

 

私は何か努力して達成したこともなければ、逆境を乗り越えたこともありません。

辛かった仕事も、逃げるということで解決してしまいました。

何も人に自慢できることはなく、アドバイスもできる身ではありません。

 

それでも、ブログを書き始めたのは、2つ理由があります。

一つは、専業主婦の達成感を感じにくい毎日に、一つ記事を書くごとに得られる達成感が欲しかったから。

2つ目は、もし昔の私みたいな人がいたら、それとも、同じ悩みを抱えながらもお母さんになった人がいたら、一緒に「頑張らないことを頑張りましょう」って言いたいからです。

 

長男も、同じくADHDの診断を受けました。同時に書字障害の診断ももらいました。

長男8歳、次男5歳、長女1歳。これからも前途多難ですが、新しく建てた家を武器に、楽しい暮らしを作っていく過程を記録していきたいと思います。

 

もしここまでお読みくださった方がいたら、本当にありがとうございました。

貴方様のますますのご多幸をお祈りします。


f:id:ichigosan:20230920004552j:image