家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

30代後半の、切実な思い。

37歳、同世代にたくさん会って

30代後半は、10代の少年少女に負けないくらい、センシティブなお年頃なのかもしれない…

最近、たくさんの同世代と立て続けに会ったことで、そんな風に感じました。

「自分の選択の正しさ」を保証してほしい、認めてほしい、称賛してほしいと願う気持ちが、こっそりと、しかし切実に伝わってきた気がしたのです。

 

「自分なりの答え」の結果が、目に見えてくるお年頃

これまでの進学や最初の就職の場面では、「なんとなく」一般的なレールに沿って行動してきた人もいるかもしれません。

でも、30歳前後からは誰もが、数多くの人生に関わる重要な問題に「自分なりの答え」を出すことが求められます。(もちろん選べない場合も)

 

  • どんな仕事をするか
  • どこで働くか(国内、海外、都心、地方)
  • 転職する・した・しない
  • 仕事を辞める・続ける
  • 結婚する・しない
  • 離婚する・しない
  • 子を産む・産まない・何人産む
  • どこに住むか
  • どんな家に住むか
  • 家を買う・買わない…などなど。

 

これらの決断(または成り行き)の結果を実感してくるのが、30代後半なのだと思います。

 

「自分の選択は正しかった」と思いたい

もう成れないであろう立ち位置があることにも気がついてしまいます。

同じ高校や大学に一緒にいた頃は、「同じ場所にいる」と感じていた同級生も、この頃にはそれぞれが、ぜんぜん「違う場所」に到達していたりします。

 

自分の今のポジションが最良なのだと、心から自信を持って堂々と言える人は、少ないのかもしれません。

みんな、多少なりとも不安があるのではないでしょうか。

口には出さずとも、隣の芝が青く見えてしまうことも。

 

それでも、自分の選択が正しかったと思いたい。

自分が得たもの、選んだものが、素晴らしかったと安心したい。

私はそうです。

 

周りを否定してしまう人も

本来、個人の幸せに、正解も勝ち負けもないはずです。

それなのに、自分と違う道を選んだ人、自分には行けなかった世界に行けた人を、否定したり卑下したり、目を背けて「ないもの」としてしまう人もいます。

 

そうでもしないと「自分はこれで良かったのだ」と思い込めないのでしょうか。

そこには、選んだ道への自信のなさや、本当はその人を羨ましく思っている気持ちが隠れているのではないでしょうか。

 

素直に憧れたり、羨ましがったり、悔しがったりして、だからこそ学ぼうとすることは、年齢を重ねるほど難しくなってくるようです。

今の自分に満足していないことを認めることになりそうで。

「負け」を認めてしまうようで。

 

特に、身近な人に対してすることが難しい。

近い存在にはライバル意識を持ってしまうからかもしれません。

 

 

それじゃあこれ以上どこにも行けない。

私は、いつまでも素直に憧れたり、羨ましがったり、悔しがったりしたいです。

「足りない」と感じることは、恥ずかしいことでも、負けることでもなくて、もっと素敵な人生に変えていける可能性そのものです。

 

遠い憧れの人からも、身近な人からも、同じくらい学びたいと思います。
何が羨ましいのか、その要素を小さく分解すれば、今の生活に取り入れられるものもあるはずです。
そして、小さいチャレンジならできるはず。

 

今の幸せも、これからの幸せも。

同時に、自分の「身の程」にもしっかり納得したいものです。

これまで精一杯頑張ってきたことは、自分自身が誰よりも知っています。

どんな結果であろうとも、捨てたもんじゃありません。

今手にしている幸せへの感度を高めて、大切に味わうことも大事にしたいです。

自分の「今」も愛でながら、これからも変化を楽しんでいきたいと思います。

田舎の朝の、おいしい空気。