芸術の秋ですね。
今日は美術館の何が面白いと思うか、という話です。
思い出の美術館を記録します。
自分のために書いたのでデスマス調をやめています。
ゲッティ美術館
6年前くらいに一人目育児が一段落して行ったときの日記。↓
「小説も映画もマンガも大好きだけど、やっぱり美術館も良い。
美術館の面白いところは、主体的に動かないと面白くないところだと思う。
文字通りかなり歩き回ることになるし、見る角度や距離を変えてみたり、気になることを調べてみたり、ときどき立ち止まって、自分の記憶を色々引っ張り出し考えを巡らせたり。
そうして自分のペースで見つけた発見は、オリジナリティがある気がして嬉しいし、この作業は頭と体をバランス良く使うので、充実感がある。
そしてそれができるのは、時間に余裕があるからだ。
美術館は行ってみないと所要時間がわからない。
たいてい素敵な庭やカフェがついているから、せっかく行くなら半日〜1日使おうということになる。
他の娯楽と比べて非常に贅沢な時間の使い方になる。
その時間のおかげで、作品を通して発見した色々が、ちゃんと心と記憶に定着するような気がする。
美術館に行った帰りには、身の回りのものすべてがアートに見えてくる不思議がある。
身近な、ささいなものでも面白みがあることに気づいて大切に思えてくる。
この感覚が薄れてきたらまた行こう。」
パリの思い出
さらに遡って大学時代に40日間のホームステイ中、毎日のように美術館通いしたときの思い出。
その頃の日記を断捨離してしまって、激しく後悔!
ブログに残すという手があったのに。
写真もどこにやっちゃったんだろう。
記憶を頼りに特に衝撃を受けた美術館について。
プティ・パレ
当時、「19世紀美術館」っていう別名がついていたと思うんだけど、今検索してもそんな情報はどこにも出てこなかった。
ともあれここは、初めて「印象派」の絵を見たときの、当時の人々の衝撃を疑似体験できる面白い美術館!
今でこそ印象派の絵には見慣れてしまった私たちだけど、登場した当時はすごく斬新だったことがわかる。
19世紀後半当時の「主流」=サロンで評価されていたアカデミックな画風とは、精緻で写実的な表現だったから。
この美術館にはそんな絵がたくさん展示されている。
それを見てくうちに私たちは、当時の人の感覚・目を持つことができる。
そこに突然現れる、全く違う画風のモネの絵…。
「なんだこれ!ただの印象じゃないか!」
当時の人達と同じコメントを言いたくなること間違いなし。
マルモッタン美術館
教科書に必ず出てくるモネの「日の出」が見られる美術館。
「日の出」については教科書で見る限り、ぱっとしない絵だな…くらいにしか思っていなかった。
けど…本物を見て本当に驚いた。泣きたいほど色彩が美しかった。
教科書の写真とはさすがに全然違った。
間接的・二次的な情報でも、つい知った気になってしまうけれど、本物見るのって大事なんだって思い知らされた。
明るい夏の日だった。
高級住宅地の中にあって、町並みもとても美しかった。
家族連れがたくさん来ていて(日本で子連れで美術館は少々行きづらい)、素晴らしい文化だなと思った。
おまけ「香りの美術館」?
名前に惹かれて、一生懸命探して辿りついたら、なんとハーブと花の小さなお庭だった。
当時はGoogle Mapもなかった(知らなかった?)し、地図を片手にメトロとバスを駆使して歩き回った。方向音痴な私には、大・大・大冒険だった。
もう二度とあんな勇気は出ない。
品川の原美術館
二人目育児が一段落したときに行ったのは、香港出身のアーティスト、LEE Kitの展覧会だった。
何て言葉にしたらいいんだろう、あのときの空気感。
今にも消え入りそうな思い、切実な願いや、哀しさ?
今はずいぶん図太くなった私に、かつて繊細だった頃のことを思い出させてくれた。
武装する前の、無防備な傷つきやすい自分。
そういう自分も時々はイイコイイコして呼び戻してやろう。
そうじゃないと感受性がなくなって、日々に感動できなくなるから。
そんなことを考えた。
原美術館 ARC
3人目卒乳後に最近行ったのは群馬の原美術館。
品川美術館が閉館してしまって残念に思っていたら、群馬の別館に統合されてた!
同じ作品に出会えて感激。
草間彌生の作品の中に埋もれてみて、何かの連続に自分を見失うってまさにコレだと、専業主婦の今だからこそ共感できるものがあった。
だから何か自分のために変化を起こそう、始めようって決められた。
その一つがこのブログなのです。
私が美術館に行く理由
もちろん作品の背景や歴史やメッセージに興味をそそられて面白いとか、勉強になるとか、気づきを得られるってことが大きい魅力だけど
実は求めてるのはこういうのだったりする。
人生の節目節目に美術館に行き、その想いを作品に投影し、自分の感じ方から今の自分の現在地や、気持ちを察する。
忙しさに忘れていた自分の希望や願望や欲求を思い出す。
そんな自分を理解する場に、時々行きたい。