家は味方

ADHD親子の、片付けられる家。

【ベトナム旅記 第4回・最終回】「何もない」という名の贅沢 〜レジャーシートの上に広がる、自由の再設計〜

レジャーシートのチルタイム

ベトナム、ホーチミン市(旧サイゴン)。

街は、数百万台のバイクが吐き出す排気ガスとクラクション、そして人々の欲望が混ざり合った、凄まじい熱気に包まれています。

歩道を歩くことすらままならないその喧騒のど真ん中、人民委員会庁舎前の広場(グエンフエ通り周辺)で、Grabの窓越しに、私は信じられない光景を目にしました。

そこには、色とりどりの「レジャーシート」を広げ、ただ座っているだけの人々が溢れていたのです。

Grabのおかげでとても観光しやすい。窓越しに街の熱狂を眺める。

巨大な「恐怖」の隣で、お茶を飲む知性

ライトアップされた壮麗な庁舎の向い、ホー・チ・ミン像の厳格なまなざしのすぐ足元。

広場を埋め尽くすシートの上で、人々がお茶を飲み、笑い合っている姿は一見、平和な日常そのものです。

でも、その背景にある現実を知ったとき、私は背筋が凍る思いがしました。

今のベトナムは、地政学的な「窒息」の危機にあります。

中国によってメコン川の上流にダムを築かれ、命の水を握られている。

海では領土を脅かされ、隣国カンボジアでは自国の経済を無力化しかねない巨大運河が、やはり中国の影の下で建設されようとしている。

水も、海も、出口さえも、大国に握られようとしている圧倒的な「恐怖」。

さらに街のあちこちには、鋭い視線を光らせる緑の制服の公安(警察)たちが立っています。

そんな「いつ、すべてを失うか分からない」という巨大な不安のど真ん中で、彼らは平然と、一枚のシートを敷いて自分たちのリビングを作っている。

それは、現実から目を逸らしているわけではありません。

「コントロールできない未来の絶望に、今の自分の幸せを1ミリも明け渡さない」。

そんな、数千年の苦難を生き抜いてきたベトナムの人々の、したたかな「生存戦略」のようでした。

 

刺激と反応の間の「ホワイトスペース」

精神科医ヴィクトール・フランクルは、強制収容所という極限状態を生き抜いた経験から、こう遺しました。

「刺激と反応の間には、スペースがある。そのスペースをどう使うかに、私たちの選択の自由がかかっている」

お片付けに悩む現場では、この「スペース」がモノや不安で埋め尽くされています。

片づけても片づけても散らかす子供たちの刺激に、余裕のない脳が即座に「怒鳴る」という反応を返してしまう。

でも、ベトナムの人々は、「国家の危機(刺激)」と「自分の感情(反応)」の間に、広大な「スペース」を確保しています。

彼らにとってのレジャーシートは、まさにその「ホワイトスペース(戦略的な空白)」を物理的に具現化したものかもしれません。

どんなに外側が騒がしくても、この一畳の上だけは、自分が自分であることを選択できる聖域なのです。

 

実は昼間、どこからも溢れ出てくるバイクの洪水に立ち往生していた私たちを、屋台のおじさんが見かねて、モーゼのように車を止めて渡らせてくれたことがありました。

システムがどれほど混沌としていても、そこには必ず、誰かの意思が作る「道」がある。

AIにつくってもらった、モーゼおじさんの再現画像

レジャーシートを広げる人々もまた、自分たちでその「道」を、日常の中に作り出しているのかもしれません。

 

家を「レジャーシート」のように設計する

私のキッチンにコンロがないのも、実はこの「スペース」を守るための私なりの戦いでした。

3つの火をつけたら炎上する、モノが詰まっていたらパニックになる。

そんな「脳の特性(刺激)」に対し、私は「構造自体をなくす」ことで余白を作り、自分が穏やかでいられる「選択肢」を確保しました。

ホーチミン市の路上で、人々が警察や地政学的な恐怖のすぐ隣で自分を解放するように。

 

私たちのお片付けも、究極的には「床を出すこと」や「モノを捨てること」が目的ではありません。

本当に必要なのは、「何が起きても、ここで一息つける」という心のレジャーシートを、自分の中に広げることです。

 

理想の家、理想の主婦、理想の自分……。

これまで大切に握りしめてきた「虚像」を剥がし、不器用で、片付けが苦手で、すぐにパニックになる「生身の自分」を、そのレジャーシートの上にそっと座らせてあげる。

「ま、明日ダムが閉まっても、完璧なお母さんじゃなくても、私は私として笑っていられる」と確信すること。

旅の終わりに —— 自由への招待状

全4回にわたってお届けしてきたベトナム旅。

私たちが本当に戦うべき相手は、溢れるモノでも、苦手な家事でもありませんでした。

それは、自分を「こうあるべき」という狭い檻に閉じ込め、今この瞬間の自由を放棄させてしまう、自分自身のまなざしだったのです。

さあ、あなたも「将来への不安」や「過去への後悔」という重たい家具を一度脇に退けて、自分の中に一枚のレジャーシートを広げてみませんか?

そこには、スプーンで掘り当てた自由よりも、マネの描いた『オランピア』のまなざしよりも、ずっと清々しい、あなただけの「余白(スペース)」が広がっているはずです。

どんなにお金やモノを手に入れても、このレジャーシートを広げる勇気がなければ、人は一生『不安』という檻から出られません。

その「何もない」場所こそが、あなたの人生をこれから新しく描き変えていく、最高のキャンバスになるのです。

こうして自分の中に余白を広げたとき、ようやく『家は、あなたの本当の味方』に変わります。

 

📚 参考文献 & インスピレーションの源
ジュリエット・ファント『WHITESPACE(ホワイトスペース)』: 「何もしない時間」を戦略的に確保する重要性。

ヴィクトール・フランクル『夜と霧』: 「刺激と反応の間のスペース」という自由の核心。

工藤庸子『フランス恋愛小説論』: 女性が「主体的にまなざす側」へと変容する逆転劇。

メコン川・南シナ海の地政学: 大国に包囲されながらも、しなやかに生き抜くベトナムの現状。

人民委員会庁舎前広場:都市の「余白(カフェ・ベット)」、ホーチミン市の路上リビング。