- ベトナム:「理想の自分」という鎧を脱ぎ、自由を再設計する旅
- ギンガムチェックの「数奇な旅」
- 支配のインフラを支えた「アヘン」と兄の自滅
- ミシュランという名の、残酷なアイロニー
- フランスが生んだ「美」という名の罪と、その「名刺代わり」の投資
- 私たちが纏う「お守り」という名の檻
ベトナム:「理想の自分」という鎧を脱ぎ、自由を再設計する旅
日本に帰国して数日。清潔で、すべてが整ったこの国の静けさの中にいると、サイゴンのあの熱気が、遠い銀河の出来事のように思えます。
けれど、私の心はまだ、あの「美しさと残酷さ」が表裏一体になった街を彷徨っています。
今回の旅で、私の目を奪ったのは一枚のギンガムチェックでした。
多くの人にとって、それは「可愛らしく、家庭的な」柄かもしれません。
けれどその歴史を紐解くと、そこには驚くほど激しい「反逆の精神」が流れていることがわかります。

ギンガムチェックの「数奇な旅」
この柄のルーツは17世紀、マレー語の「genggang(縞模様)」にあります。東インド会社によってヨーロッパへ渡り、19世紀のフランスで「ヴィシー・チェック」として花開いたとき、それは西欧において「清潔・家庭・平和」の象徴となりました。
しかし、この布が再び東南アジアの地に戻り、ベトナムで「カンラン」と呼ばれたとき、それは全く別の顔を持ち始めました。
「農民・労働・抵抗」の象徴(カンラン/クロマー)です。
クチトンネルのような極限状態を生き抜くための「サバイバルギア(命の布)」でしたた。



南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)のレプリカ
トンネルの暗闇の中で麻酔なしの手術の悲鳴を飲み込み、赤ん坊を包み、流れる血を止める。
フランスの「洗練」に対し、泥にまみれても汚れない強さを選んだ人々の、「不屈」のアイデンティティそのものとなったのです。

1959年、ブリジット・バルドーが結婚式に豪華なシルクではなく庶民的な「ピンクのギンガム」のコットンドレスを選んだのも、当時の既成概念への鮮烈なカウンター(反動)でした。
この柄は常に、「押し付けられた正しさ」に抗う人々の旗印だったのです。

支配のインフラを支えた「アヘン」と兄の自滅
ベトナムに残されたフランスの「美」には、常に影がつきまといます。
美しいオペラハウスを建てた資金源は、当時のフランス植民地政府が民衆を骨抜きにし、統治を容易にするために専売公社で売り捌いた「アオ・ド・レ(アヘン)」の莫大な利益でした。

ここで、マルグリット・デュラスの小説『愛人(ラマン)』に登場する白人の長兄の姿が重なります。

支配の道具としてばら撒いたはずの毒に、支配者側の若者である彼自身が溺れ、身を滅ぼしていく。
「何かを支配(コントロール)しようとする衝動は、巡り巡って、自分自身の自由を奪い、魂を腐らせていく」。
この強烈な皮肉は、植民地主義という「設計ミス」が生んだ、逃れられない報いのように見えます。
ミシュランという名の、残酷なアイロニー
もう一つの「毒」は、ミシュランです。
かつてベトナムのゴム園で流された樹液は「白い金」と呼ばれましたが、現場の労働者にとっては、それは命を削り取る「白い血」でした。
「一本のゴムの木の下には、一人の労働者の死体が埋まっている」と囁かれたほど過酷な搾取。
しかし、驚くべき皮肉は現代にあります。
今、サイゴンの高級レストランは、あのミシュランの「星」の数を競い、獲得したことを最高の誇りとして掲げています。
かつて自分たちの先祖から「白い血」を吸い上げていたブランドの「定規」によって、自分たちの価値を証明しようとしている。
かつての支配者の物差しを、今は自分たちが一番高く掲げようとする。
この凄まじい逆転の構図に、私は人間の執念の深さと、生き残るための「凄み」を見ました。
フランスが生んだ「美」という名の罪と、その「名刺代わり」の投資
今のサイゴンを歩く若者たちは、驚くほど輝いています。
最新のiPhoneを手にし、高級バイクを駆り、美しい曲線を描くアオザイを纏う。
実はあのアオザイのタイトなデザイン自体、1930年代にフランスの影響下で生まれた「西洋的な美」の注入でした。
それが現代、完璧な「S字ライン」を求めるあまりの過激な整形手術への渇望へと繋がっています。
彼らの消費行動は、時に私たちの常識を遥かに超えています。
平均年収が約35万円と言われる社会において、彼らは一族の「名刺代わり」として、年収の半分近くもする最新のiPhoneを買い、年収の1年分、あるいはそれ以上に相当する高級バイクに跨ります。
高利のローンを組んでまで手に入れるその「輝き」は、もはや単なる買い物ではありません。

しかし、それを「虚栄心」と笑うことは、私にはできません。
それは、何もかもを奪われてきた歴史への、強烈な反動だからです。
コンプレックスという名の欠乏を、所有と美貌、そして「ミシュランの星」という鎧で埋め尽くさなければ、彼らは自分たちの「不屈」を証明できなかった。
彼らの輝きは、過去の影を光で塗り替えていこうとする、「私は、ここに生きている」という、祈りにも似た、あまりに切実な生存の証明なのです。
私たちが纏う「お守り」という名の檻
お片付けの現場で出会う、様々なモノたち。
それらを前にしたとき、私はサイゴンで感じたあの「ヒリヒリするような感覚」を思い出すのかもしれません。
私たちが家の中に積み上げてきたモノたちは、不安な夜を越えるための「お守り」であり、揺らぐ自信を支えるための「鎧」だったのではないでしょうか。
けれど、支配しようとしたアヘンが『ラマン』の兄を壊したように、自分を優位に見せるための鎧や、不安を紛らわせるための執着が、いつしか自分自身を閉じ込める「檻」になってはいないでしょうか。
モノを手放せないのは、あなたがこれまで必死に自分を守ろうとしてきた、誠実さの証です。
けれど、もし戦いが終わったのなら。
見せたい自分のために自分を壊すのをやめ、ありのままの自分が深呼吸できる場所を再設計してみませんか。
美しさの裏側にある「本当の理由」を見きわめること。
それが、モノの奴隷から、人生の主権者へと戻るための、静かな革命の始まりです。
次回は、私たちが自分の中に無意識に作っている「檻」の正体についてお話しします。
【参考文献・参考リンク】
1. 植民地時代の労働とゴム園の歴史について
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The Red Earth: A Vietnamese Memoir of Life on a Colonial Rubber Plantation (著: Tran Tu Binh)
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ミシュラン・ゴム園での労働争議「Phu Rieng Do (1930)」に関する歴史記録
2. フランス領インドシナの財政とアヘン専売について
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The Politics of Opium in French Vietnam (著: Chantal Descours-Gatin)
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Paul Doumerによる植民地財政改革と公共建築の歴史資料
3. 現代ベトナムの経済と消費文化について
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ベトナム統計総局 (GSO) 発表:2024年度 賃金・所得統計調査
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『ベトナムにおける「面子」と消費行動に関する考察』(市場調査レポート Q&Me 等参照)
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マルグリット・デュラス 著『愛人(ラマン)』