家は味方

ADHD親子の、片付けられる家。

「もったいない」という呪文を解く。カリフォルニアの巨大ゴミ箱が教えてくれたこと

「まだ使えるのに」「もったいない」

その言葉が、あなたの手を止め、ゴミ袋を遠ざけていませんか?

かつて日本が生んだ「MOTTAINAI」という言葉は、今や世界中で称賛される美しい精神になりました。

でも、日本で暮らす私たちの日常において、この言葉は時として、自分を縛り付け、動けなくさせる「呪いの呪文」に変わってしまうことがあります。

今日は、私が10年前にカリフォルニアで目撃した、ある「光景」のお話をさせてください。

 

巨大なゴミ箱に投げ込まれる「日常」

アメリカの住宅地には、日本の一部屋分ほどもある巨大なゴミ箱(ダンプスター)が置かれています。
10年前、そこで私が見たものは、日本では考えられない光景でした。

生ゴミと一緒に、まだ映りそうなテレビが平然と投げ込まれている。
ブラックフライデーになれば、人々はデパートでモノを奪い合い、熱狂の中でカードを切る。
そしてクリスマスの翌日、あの巨大なゴミ箱からは、飽きられたばかりの新しいおもちゃと、山のような包装資材が、ぐちゃぐちゃになって溢れ出していました。

 

そんな「大量消費・大量廃棄」の荒波の真っ只中で聞く「MOTTAINAI」という日本語は、なんて気高く、慈愛に満ちた、新鮮な知恵に聞こえたことでしょう。

日本の「もったいない」は、刃(やいば)になっている

でも、日本に帰ってきた私が、片付けに悩むクライアントさんの隣で聞く「もったいない」は、それとは全く違う響きを持っていました。

日本で使われるこの言葉は、今やモノへの敬意ではなく、「捨てられない人を罪悪感で追い詰めるための、呪いの呪文」「捨てられない自分を裁くための刃」に変質してしまっていたのです。

 

「まだ使えるのに捨てるなんて、人間として失格だ」
「せっかく買ったのに、活かせない自分はダメな奴だ」

 

そうやって、私たちは「モノの命」を守るために、自分の心や生活のスペースを犠牲に捧げてしまっています。

「モノを大切にできないダメな人間」という烙印を自分に押し、ゴミ袋の前でフリーズしてしまうのです。

 

でも、ちょっと待ってください。

あのカリフォルニアのゴミの山を思い出すと、確信することがあります。

本当に「もったいない」のは、モノを捨てることではなく、この過剰な消費社会のサイクルに、あなたの貴重な人生(時間、空間、心の平穏)を奪われ続けていることではないでしょうか。

「モノの命」よりも「あなたの命」

商品が存在した瞬間から、それはある種の「罪」を孕んでいるのかもしれません。

売る側は、あなたの脳をハックして「欲しい」と思わせ、買った後のことなんて知らんぷりです。

そんな無責任な社会が作り出した「モノの命」を守るために、なぜ、生身のあなたが自分を責め、狭い部屋で身を縮めて生きなきゃいけないのでしょうか。

 

モノを捨てることで感じる痛みは、あなたが「優しい人」である証拠です。

でも、その優しさを、どうか自分自身にも向けてあげてください。

 

呪いを解いて、自分に免罪符を

もしあなたが今、何かを捨てようとして「もったいない」という声に引き止められているなら、主語をすり替えてみてください。

「このモノのために、私の人生を停滞させるのは、もったいない!」

そう思えたとき、その言葉はあなたを縛る鎖ではなく、自由への鍵になります。

モノへの罪悪感を手放して、まずは自分自身の命を、一番大切に扱ってあげてほしいのです。