
- 黄色い消毒液と「強くなりなさい」と言われたあの日
- 「睡眠学習の齋藤さん」と呼ばれた学生時代
- 「普通」になれなかった、四戦全敗の20代
- 「ふつう」を諦め、自分なりの方法を見つける
- 「プロの知恵」との出会い、そして支援の道へ
- 武器を置いて、味方と歩む新しいチャプター
- 「家は武器」から、「家は味方」へ。
黄色い消毒液と「強くなりなさい」と言われたあの日
私の記憶の原風景は、ベタベタして臭うアトピーの薬と、黄色い消毒液の冷たさです。
母が毎日塗ってくれるワセリンは、子供心に疎ましくて仕方ありませんでした。
8歳くらいからかな。毎晩自分で全身の保湿と薬の塗布。 正直、面倒で、泣くほど嫌でした。
けれど、一晩でもサボれば、翌日には肌が「マイナス」にまで荒れ狂う。
逃げ場のない日々の中で、心ない言葉を浴びせられたことも何度もありました。
修学旅行で顔がただれ、泣き崩れる私に、先生はただこう言いました。
「強くなりなさい」
でも、本当に必要だったのは、根性論ではなく「自分を助ける具体的な仕組み」だったのです。
「睡眠学習の齋藤さん」と呼ばれた学生時代
学校生活も散々でした。 自分の興味のあることしか覚えられない。
数字に弱く、流行りに疎く、動きもとろい。
忘れ物や遅刻は日常茶飯事で、授業中は寝てばかり。
「睡眠学習の齋藤さん」――小・中・高・大と、違う先生から同じあだ名で呼ばれました。
自分の部屋は、歩くことすらままならないほど散らかっていました。
「普通」になれなかった、四戦全敗の20代
社会に出た私を待っていたのは「社会不適合者」であるという現実でした。
百貨店時代: 憧れの美術工芸品に囲まれても、マルチタスクができずミスばかり。
事務職時代: 興味が持てない数字を前に、隣で先輩が教えてくれているのに寝てしまう。
専業主婦時代: 育児と家事のマルチタスクで脳が「ゼロリセット」され、毎日パニック。
どんなに頑張っても、マイナスからゼロにもたどり着けない。
34歳でADHDの診断をもらうまで、「言い訳せず努力しなければ」とずっと自分に言い聞かせて足掻きましたが、変わることはできませんでした。
「ふつう」を諦め、自分なりの方法を見つける
「なんで私、何もかも普通にできないんだろう」 そんな絶望の中にいた私に、光をくれたものが2つあります。
一つは、美術館。
私が心安らげる場所は、いつも美術館でした。
その静寂の中では、誰も私を評価しない。「ふつう」という正解がない世界。
自由を感じられ、自分のペースや感じ方を尊重できる唯一の場所だったのです。
「惨めな生活も、切り取り方(解釈)次第。何でもない風景も、いつかきっとアートのように美しく見えるはずだ」という希望をくれました。
そして背中を押してずっと支えてくれたのは、夫でした。
「手作りじゃなくていい。理想の母親にならなくていい」
その一言で、私は「普通」になろうと足掻くことをやめ、生き抜くための「装備」を整える決意をしたのです。
そこから私の猛勉強が始まりました。 勝間和代さんやちきりんさん、認知行動療法やビジネス本、育児本、間取りや収納、家造りのこと……。
ADHDという特性を持つ私が、壊れずに生きていくためには、精神論ではない「具体的な助け」が必要でした。
そこで私は、憧れや常識を捨てて、家を徹底的に「自分を助けるための武器」として改造し始めました。 キッチンからコンロをなくし、巨大ロッカールーム設置、洗濯~乾燥~しまうまでを一つにした部屋、13台のアレクサ。
「丁寧な暮らし」ではなく、「私が壊れないための要塞」を作る。 その実験の記録をブログ「家は武器」に綴り始めたことが、私の新しい一歩でした。
「プロの知恵」との出会い、そして支援の道へ
そんな時、X(旧Twitter)で出会った方から教わったのが「ライフオーガナイザー」という仕事でした。しかもそこではアメリカのICD(慢性的な生活の混乱と困難に関する専門組織)の知識が学べると。
「自分の体験だけでは、自分と同じ悩みを持つ誰かを救うには足りないけれど、 体系的な専門知識を掛け合わせれば、誰かのお役に立てるかもしれない」 それは、人生で初めて感じた、大きな希望でした。
それぞれの特性や個性に合わせる「環境調整」の重要性を学び、プロとしての活動を歩み始めました。

まだ走り始めて1年5ヶ月ですが、ご縁は広がり、青森から長崎、そしてフィンランドまでのお客様をサポートさせていただけるようになりました。

↑フィンランドでの片付けサポート
また、ADHDの片付け界で著名な西原三葉さんや、発達障害のタスク管理で知られる小鳥遊さんとも活動を共にさせていただく機会に恵まれました。


さらに2025年には、「一緒に自信を育むオンラインお片付け会」の取り組みが、「JALO SDGs アワード」にて審査員特別賞を受賞するという、身に余る光栄を授かりました。
かつて「社会不適合」だと自分を責め、部屋の隅で泣いていた私が、こんなに広い世界で、様々な方と一緒に充実した活動ができている。
その事実は、今でも信じられないほど大きな、私の支えになっています。
武器を置いて、味方と歩む新しいチャプター
これまでの私は、生きづらい世界から身を守るために、家を「武器」として尖らせてきました。
けれど、今年もうすぐ40歳になる今。
毎日欠かさず保湿し続けた肌は、人生で一番きれいな状態になりました。
家という仕組みは自動で回り、ふと、私はもうファイティングポーズを取り続けなくていいのだと気づいたのです。
家は私にとって、家族のありのままを支え、自己実現を応援してくれる「味方」のような存在となっていました。
「家は武器」から、「家は味方」へ。
今の私にあるのは、まだようやく整った「土台」です。 でも、この仕組みという土台の上に、これからどんな「生活のアート」を築いていけるだろうか。それを想像するのが、今はとても楽しみです。
本日を持って、ブログ名も「家は武器」から「家は味方」に変更いたします。
かつての私のように、暗闇で立ち尽くしている方へ。
まずは、あなたが壊れないための「仕組み」という土台を、一緒に作ってみませんか。
そこから先の景色を、いつか一緒に見られる日を願っています。
