家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

【孤立の力とつながりの希望】──ベトナムで見た“歴史の痛み”と、発達障害のわたしが語れること

「歴史から自分の生き方を考える時間」

今回の記事は、「旅先の記録」というよりも、「歴史から自分の生き方を考える時間」の記録です。
ベトナム戦争証跡博物館を訪れたことをきっかけに、孤立・感受性・発達障害というテーマと、自分自身の感覚を重ねながら考えました。
わからないことも多いけれど、だからこそ丁寧に向き合ってみたいと思ったことをまとめています。

「歴史に興味がある」「旅が好き」。 それは、子どものころからずっと変わらない私の軸です。

そして今回、家族5人+犬を抱えながら、どうにか工夫を重ねて実現したベトナムの旅。
それは、ベトナム戦争の記憶、植民地支配の跡、市井の人々の顔と向き合い、「孤立」「声をあげること」「違和感の力」について、あらためて考える機会となりました。


なぜベトナムへ?──家族旅行という枠を超えて

5人家族と1匹の犬を抱えた私たちにとって、海外旅行は贅沢と紙一重です。

けれど今回は、私にとって「人生で一度は訪れたい場所」でした。

ベトナム戦争の記憶、フランス植民地支配の歴史。

そのすぐ隣に、今も生きる人びとの笑顔、祈り、屋台の匂い、バイクの音、やさしい時間が流れていました。

私は、ガイドブックの中ではなく、現地で“自分の感覚”としてその空気を受け取りたかったのです。

 

 


ベトナム戦争証跡博物館で出会ったもの

訪れたのは、ホーチミン市にある「ベトナム戦争証跡博物館」。

そこには、爆撃の記録や枯葉剤の影響、捕虜の写真や、市民の声なき声が、無数に展示されていました。

そして、そこから色々調べていくうちに、クメール・ルージュについても理解を深めることができました。

カンボジアで実際に起きた大量虐殺──それは「どこか遠くの国の話」ではなく、同じように空気が変わり、人が壊されていく構造が、歴史の中で繰り返されてきたことを示していました。


発達障害の私が感じる“違和感”の力

私は、いわゆる「空気を読む」のが苦手な発達障害当事者です。

周りがどうであれ、「そもそもどうしてそうなってるの?」「なぜそうしなきゃいけないの?」とついつい考えてしまいます。
自分の頭で納得できないことは、違和感として残り続けてしまいます。

歴史のなかで、空気が少しずつ“狂っていく”場面が何度もあった。違和感に気づいた人はいたはずです。でも、声をあげるには勇気がいりました。

私たちの特性は、社会の中で「やりづらさ」になることも多いけれど、 この“違和感センサー”は、過ちを止める力になり得るのではないか──そう感じました。

 

空気を読まないことが、平和を守るセンサーになるかもしれない

発達障害を持つ人たちは、ときに「場に合っていない存在」として誤解されがちです。 でも逆に言えば、「場に馴染みすぎない」ことで、危うさに先に気づけるのかもしれない。

それは、歴史の中でも、今の社会でも、必要とされている力ではないでしょうか。

「孤立の力」──このタイトルに込めた二つの意味

今回のタイトル「孤立の力」には、実は二つの意味を込めています。

ひとつは、孤立が人を壊してしまうほどの“負のちから”としての側面。

もうひとつは、孤立のなかにいるからこそ芽生える“感じる力”や“違和感に気づく力”としての側面です。

歴史をふり返ると、孤立した人びとは、声を奪われ、狙われ、壊されていきました。

けれど同時に、そうした孤立のなかでしか生まれなかった問いや感性が、誰かを救った例もある。

この文章のなかで、私が語っている「孤立」とは、壊す力でもあり、守る力でもある── その両方に触れながら書き進めています。

 

孤立の怖さと、「つながり」が守ってくれるもの

戦争の説明のなかには、密告や孤立、分断の怖さも描かれていました。

誰もが誰かを恐れ、信じられなくなることが、どれほど人間を脆くさせるか。

それを見て、私は思いました。 「孤立」は、いじめや暴力や差別を引き寄せ、人を壊す。

だからこそ、「つながり」は、武器ではなく、盾になるのだと。

私たちが「誰かと一緒にいる」「共感しあえる」ということが、暴力を防ぎうるのだと。

 

私の旅は、語る意味があるだろうか

旅行をすること自体、「自慢」と受け取られるのではないかと怖くなることがあります。

でも、今回私は「見て、感じて、考えたこと」を、誰かに手渡したいという気持ちになりました。

これは旅の記録ではなく、「学びと祈りの記録」だと思って受け取ってくださいませ。

歴史の中で、空気に流されず、声をあげてくれた人がいた。

その声がつながって、いま、私たちが語り合えることにつながっている。

発達障害という感覚の特性が、未来の暴力を止める力になったっていい。

感じやすくて、うまくなじまない私たちだからこそ、できることがあるかもしれない。

私はこれからも、自分の目で見て、感じたことをゆっくりと言葉にしていきたいです。

まだよくわからないこともあるけれど、それでも「感じたままを伝える」ことで、誰かの安心や希望につながったらうれしいです。

私にとって旅は、非日常ではなく、「暮らしの延長にある問いかけ」です。
自分の特性を否定せず、そのままの感受性で世界とつながること。
そんなふうに暮らし、学び、伝えていけたらと思っています。

 


お読みいただきありがとうございました。

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