家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

感覚にやさしい暮らしノート Vol.4 「“何もしない”を責めないで 〜セルフケアという心の回復術〜」

自分を置き去りにしないで

最近ふと、フィンランドの本屋さんで見かけた日記帳のことを思い出しました。
シンプルな装丁に、“今日、どんな気分だった?”というような問いが毎ページにそっと添えられていて。
それは「何をしたか」ではなく、「どんなふうに感じていたか」を記録するものでした。

忙しい日々の中、自分の感覚を置き去りにしたまま1日が終わることがあります。
けれど、自分の気分に目を向けること。それ自体が、立派なセルフケアだと思うのです。

セルフケアって“回復”なんだと思う

セルフケアという言葉には、どこか「前向きに頑張るための手段」のようなイメージがあるかもしれません。
でも私は、セルフケアとはむしろ「頑張らなくていい時間」を自分に許すことだと思っています。

「今日はよくやったね」と言ってあげる。
白湯を飲む。音楽を1曲だけ聴く。予定のない時間に、ただ空を見上げる。
そういう“小さな回復”の積み重ねが、感情の風通しをよくしてくれる気がします。

昼間の白い雲と青い空

満たすことからしか、やさしさは生まれない

友人のかのこちゃんが、あるときこんなことを言っていました。

感謝ってするものじゃなくて、溢れるものだと思うの

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愛情や思いやりも同じ。
“誰かに与える”ことを焦る前に、自分の心のコップにヒビが入っていないか、ちゃんと見てあげること。
自分で満たして、溢れた分を人に渡せばいい。

子育てや仕事に追われていると、どうしても「誰かのために動かなくちゃ」と意気込んでしまうけれど、順番を間違えると心が疲れてしまいます。

白いテーブルの上の透明なコップ

“何もしない”時間を、価値のあるものとして受け取る

誰にも言えないけれど、「今日は何もできなかった」と感じる日。
そんな日ほど、自分を責めてしまうことがあります。

でも、本当はその時間にしかできないこともある。

自分の呼吸を感じて、生きていることをただ感じる。
時間がゆっくり過ぎていくのを、ただ見送る。
その静けさの中で、心はじわじわと整っていくのかもしれません。
woman in white vest and black bikini with hand on chest

 

“私は何がしたいのか”を取り戻す

先日、あるお客様とお話をしていて、とても印象的な言葉をいただきました。

「今日は、どんな暮らしがしたいか、聞かれてもすぐに答えられない自分がいることに気付かされました。」

彼女の心は、ご家族への気遣いでいっぱいでした。
まるで“自分のためのスペース”が心の中にないように。

そういうとき、人は「何がしたいかわからない」と感じるものなのかもしれません。
でも、もし自分の中に“願い”や“希望”という光がほんの少しでもあれば、暗闇の中でも進むことができる。
その光は、自分の心の奥からしか灯らないのだと思います。

 

アートが教えてくれた、“今の自分”の見つけ方

私が自分を見失いそうになるとき、よくアート鑑賞に助けられています。
作品の前に立つと、作者の意図と関係なく、心にあるものがふっと映し出される瞬間があるんです。

思い浮かんだ人、もの、出来事。
そこに湧いてきた感情──怒り、悲しみ、嬉しさ、愛おしさ。
それが、「今の自分の内側」を教えてくれます。

そこから少しずつ、「私はどうしたいのか」「何を手放したいのか」「次にどんな一歩を踏み出せるか」が見えてくる。

人生は、そんなふうにして自分に問いかけながら、日々“組み立て直していける”ものなのかもしれません。

 

おわりに

セルフケアって、特別なことではなくて、
ただ「今の自分を見つめること」から始まるのだと思います。

忙しさのなかで、自分の感覚が遠ざかってしまったとき──
ほんの1分だけでも、心の声に耳をすませてみてください。

それが、自分を取り戻す小さな習慣になるはずです。

あなたにとっての「セルフケア」が、今日もやさしく寄り添ってくれますように。