家は武器

ADHD親子の、片付けられる家。

家族が増える、カオス極まる、こじ開けられる世界

前置き:そもそも子を生み増やして良いのかどうか

必ずしもそうではないとはいえ、発達障害は遺伝する可能性があります。

こう質問されたことがありました。

「もしあらかじめ自分が発達障害だってわかっていても子どもを生みましたか?」

私は、はい、と答えました。

実際、3人目の子を生んだのはADHD診断後のことです。

私自身、幸せであり、誰もが幸せになれると信じているからです。

正しいか、間違っているか?賢い撰択か、愚かな選択なのか?

そういった判断基準では量れない価値を感じます。

実際、世間一般の(そして自分自身でも思い描いてしまう)理想の妻像、母親像からは程遠い私です。

もともと社会人としての仕事ぶりから、完璧な妻や母になれないだろうということは容易に想像できました。

私の要素が遺伝したら、子たちが苦労することも明確です。

間違っているかもしれない、愚かな選択なのかもしれない。

それでも私は愛する人の妻になりたかったし、愛する人の子を生みたい、その子に会いたいという自然と湧き上がる不思議な気持ちを我慢することはできませんでした。

完全に私のエゴです。

言い訳は、できません。

ADHD家族、犬を飼う

さて、前置きが長くなりました。

そうして5人家族となって2年半が経ち、もちろんドタバタ暮らしているわけですが。

今回さらなるチャレンジを始めました。

生後3ヶ月の子犬をお迎えしたのです。

犬の紹介はあとにして…

人間の子にしても、犬にしても、我が家に来てもらったからにはできるだけいっぱい愛して、楽しんで、幸せになってほしいのです。

後にも先にも、それで目一杯な日々を送っています。

「世界の中心は私じゃない。ただ世界が広がっただけ。」

先日函館行きの飛行機の中で、実写版の「わんわん物語」を観ました。

そこで私の心境にとってもぴったりなセリフに出会いました。

「世界の中心は私じゃない。ただ世界が広がっただけ。」

ここからは私の解釈です。

 

女の子は近くのもの、男の子は遠くのものに惹かれる…。

いつか何かの子育て本で読んだことです。

今の時代に性別でタイプ分けするなんて、古臭いことは確かですが、私や自分の子たちにはそういう傾向があったような気がします。

 

男の子は遠くで動くもの、車や飛行機などに憧れます。

一方で、女の子はぬいぐるみや人形など身近なものを、ひいては一番近いものである自分を可愛がることがとても重要です。

そして少しずつ自分が世界の中心でないことに気が付き、関心を周りに向けて世界を広げていくことで成長していきます。

(男性は逆なのかしら?わかりませんが)

 

わんわん物語」のベルも、自分中心だった小さな世界から抜け出し、新しい世界を広げていきます。冒険や恋を経験し大人になったベルのセリフが先程のものです。

 

私も、幼い頃から、そして恥ずかしながら大人になってからもずっと自分にばかり関心があった気がします。

いつもどんな思考も、「私はなんてだめなんだろう」「私なんか」から始まっていました。

実はあるとき父にこう言われてギクリとしました。

「今日電車の中でどんな人を見かけたか?…ほら、何にも覚えてないだろう。どんな中吊り広告があって、どんな人がどんな服を着ていて何して過ごしているか、そういうの全く見てないんだよ。自分のことばっかり考えてるだろ。」

その通りだったのです。

私自身は「周りばかり見て比べてしまう」と思っていたけれど、実は真逆。

周りのことなんか見ていない。何を見ても、何を聞いても、自分自身につなげてしまう。

自分のことばかり一日中考えてしまっている。

恋愛でも、「相手が何に関心があるか」よりも、「相手が自分をどう思っているか?」「どのくらい自分に関心を持ってくれているか?」そんな事ばかり考えていました。

全くもって、「ジコチュー」人間だったのです。

そして(だからこそ)不幸でした。

 

こじ開けられる世界

そんな私の極小世界を、フルパワーでこじ開けてくれたのが、夫と3人の子どもたちです。

それはもう、半端なく、無理矢理に!

 

夫は多趣味で強引に、私をいろいろなところに連れて行ってくれました。

おかげでハラハラドキドキ怖い思いもしたし、汚いところも慣れたし、信じられないような事件も起こりましたが本当に楽しかったです。

結婚した今でも急に思い立った数日後などにハードな旅行に連れて行かれるので、おかげで荷造り荷開けはかなり上手くなってきました。

 

そしてまたハイテンションな長男の誕生、のんびり屋さんだけと時々大事件を起こす次男、わがまま放題の女王様(娘)に囲まれ、気がつけばあえて努力して時間を作らない

と自分のことなんか忘れてしまう日々です。

でもこうまでしないと私はいつまでも自分のことばかり考えて暮らしていたんだと思います。

彼らの関心を通して、知らない世界、見たことなかったものの見方、新しい面白いことを、たくさん、たくさん、知ることができました。

そして彼らと関わることで、自分自身の新たな一面も、良い部分も悪い部分も引き出して、幅を広げてもらっています。

本当に家族には感謝しています。

 

助けてくれる人はきっといる

「自分なんかできっこない」すぐにこう考えてしまうのは、私だけではないかもしれません。

確かに、私には今でも自信はありません。

でも、「一人ではできないけれど、誰かが助けてくれる」と信じています。

今これを読んだ方、「は?人頼みかよ!」ときっと呆れてしまったかも…

私だって、こんなこと書くのはちょっと勇気が入りましたよ!

でもね。優しい人もいるし、日本はこれでも行政サービスが他国よりはずっといいと思っています。

それにお金を払えば専門家による様々な、素敵なサービスが買える時代です。

 

私の小さなことで言えば、結婚したこと、子を生み育てること、好きな片付けを仕事にしたこと、犬を飼うことをチャレンジをしてきました。

これはすべて様々な人に助けてもらって実現しました。

 

自分一人の力ではできないことも、誰かに助けてもらえばチャレンジできるんです。

まずは適当に、最適に、自分の力を見極め諦めて、決して一人でやろうとしないで、ぜひぜひ人に頼らせてもらおうじゃありませんか。

 

自分一人の世界じゃないんです。

みんなで頑張ればいいんです。

そうしたら、みんなの世界が少しづつ明るくなっていきます。

助けてもらえれば嬉しいし、助けてくれた人もきっと良い気分。

いつか同じようにお返しできれば100点満点だけど、まずは自分が幸せになれば、助けてくれた人もきっと喜ぶ。

 

そんなふうに気楽に考えて、「自分なんか」から抜け出して、素敵な誰かと一緒に、新しい世界を見に行きましょう。

 

2025年はまた犬も増えましたし、犬がいなかったら行かなかった場所に行ったり、犬に人間ではできないものの見方を教えてもらうのが楽しみです。